皆様に長年ご利用頂いております、日本のなゆう鉄道総裁室は、庁舎移転いたします。
引き続き、ご愛顧頂けますようお願いいたします。
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
春は新しい生活の始まる人。今までの暮らしから解放される人。人生の乗換駅ですね。
ウチの娘も春から函館で暮らすことに。既に暮らしている息子も、引っ越しさせて同じ家にまとめて生活してもらうことにしました。
という事でまずは、函館一丁。西鹿児島行きではない、隼。
最終、新函館行きに乗りました。
まずは一杯やりましょ!
なんでも、ダイ改から車内販売から弁当がなくなるそうですので、車内販売のお姉さんから買って弁当も堪能しました。
〆の一品。
シンカンセンスゴクカタイアイス。
いよいよ新青森発車!
東京駅から初の直通運転で体験する「渡道」
ほい。到着
先輩を差し置いてヤツがデカい顔してます。
もはや色が褪せたたような日高本線代行輸送が告知されています。
チョロッと乗ったら函館駅。
北の大地の表玄関 函館駅 に敬意を表しながら今日は息子の家に。
新しい家の手続きをして、時間があったから、かつての青函連絡船有川桟橋へ。
連絡船時代の三角形の合わせ灯
500m視規標と言われています。
近くには青函フェリーが停泊中 折り返しの準備をしているようです。
貨物駅もあります。
この有川桟橋の一角は五稜郭貨物駅(いまは函館貨物駅)この貨物の有川桟橋、五稜郭貨物駅、五稜郭操車場で道内から集結する貨車を航送する拠点でした。いまでも五稜郭貨物駅から函館本線を跨ぐ五稜郭操車場へ向かう土手が何箇所か残っています。
昼はラッキーピエロ。なんだか食べたくなるんだよね。
午後からは車を出してもらい、駅めぐり。
銚子口駅。小さな無人駅ですが駒ヶ岳を美しく眺められたりします。
で、もうひとっ走り。森駅へ。
キハ40が、まだまだ現役。青いモケットのボックスシートが最高!
駅売りがなくなったですが、「イカめし」は健在!早速仕入れます。
夜は息子と谷地頭温泉。函館市民の憩いの場
なかなかよい温泉。しかも北海道公衆浴場協定価格を下回る安さ(笑)
風呂上がりに
長谷川ストアで焼き鳥(焼き豚串)を仕入れて、息子宅で一杯。
明くる日はチョロッと列車に
函館駅。前の駅舎からは新しくなってチャチな感じをうけるが、あとどのくらいしたら慣れるだろうか。
微妙にカーブした独特のホーム。海峡線関係もなくなり出入りする列車に対してホームは持て余しぎみ。
キハ40がお待ちかね。
仁山回りで大沼駅へ向かう。
氷結した大沼に沿って快調に走る。
大沼駅で
キハ40同士の列車交換
ストレートで気持ちよい構内。架線もないから広く感じる。
砂原回りで森駅へ
姫川信号場。駅から格下げ。ついに乗降することもなかった。
森駅で再び大休止。
青モケットのボックスシートは死期死魔の数兆倍は魅力的だ。
もっとも、比べるのも烏滸がましい。
内浦湾に沿って、だんだんお客を降ろしながら進む。
長万部駅に到着。
由利徹の「オシャマンベ」ギャグみんな覚えているかなあ。
新幹線駅になったらどうなるんだろう。
かに飯を仕入れ
そば弁当を仕入れて帰ります。
悪名高い謎絵の乗降案内。
実際こんな感じ。コレで乗車位置わかる?
赤熊が通過。
函館行き特急で帰るとしましょう。
車内販売は既になくなりました。
エサなし特急。
内浦湾を見ながら南下。
駒ヶ岳 雪を戴き美しい。
まあ、基本の色ですよね。
ホームの立ち食いそばはなくなりましたが、ラチ外で構内蕎麦屋を発見。イカ天蕎麦を食べられました。ちょっとお上品になってます。
なにやら摩周丸がいない!とおもいましたが、大型クルーズ船の手前に小っこくいました。
お約束通り、摩周丸を表敬訪問。
船の職場って興味深いなあ。
JNRのマークも、そこかしこに。
飾り毛布は、私が乗船した頃には、無くなっていた。外国航路出身の給仕の職人芸。
まだ、神様はいるのかな。
船橋の望遠鏡で、出船の社線便を見る
コンパスデッキから函館山を眺める。
最後のダイヤ。まだまだ旅客も本州↔️北海道を意識したダイヤ。
連絡船クイズがありましたので、チャレンジしました。
JNRの入れ墨を入れたイルカのキャラクター。
コレは連絡船に共通マスコットやってました。
はい。正解しました。もっとカルトなヤツもお願いいたします!
結構世話になった桟敷席。
歴代の制服。四本線のキャプテンは、1回やってみたい仕事。
いつまでも、いて下さい。また会いに行きます。
可動橋からお尻を拝見。
連絡船モニュメントが悲惨なことに
安さに心を奪われた信者には天罰が。
二時間遅れで離陸。さよなら函館。
いよいよ娘の旅立ち。片道切符を進呈しました。
ダイヤ改正でエサなし新幹線。
なんだか、コイツら本当は鉄道嫌いなんだろ?
エキナカで儲ければなんでもいいんだろ?
四時間エサなしになろうが。
で
バランス考えるより、目先の一杯。
んで、
シンカンセンスゴクカタイアイス。
はダイヤ改正で積み込み廃止。
もう、コイツら鉄道業やめた(略
そしてまた函館。
今日は、ツアー客キップなんで、ホテルでマルヨ
翌朝は隣の朝市で朝飯。ホッケ焼き旨かった!
嫁は道民だから鮭
雪が降ってきました。
新しい家
窓からは
こんなのや
五稜郭工場や
五稜郭機関区なんかも。
長谷川ストアの焼き豚串とサッポロクラシックで、一杯。
窓からは行き交う列車が頻繁に!コレは最高!
翌日はすっかり雪景色。
向かいの病院食堂を覗きに。
なんだか食べたくなりました。
で
まあまあ。
新函館北斗。笑ってしまうくらいなんにもない。
ああ。この方も。(笑)
どうでもいい一枚。
いただきました。
知内駅跡
いつもの青函トンネル入口の工場は防音壁で見えなくなりました。
30年くらい目印にしていたので寂しい極みです。
今回のキップ。シートマップであいていた一番ええ席(笑)
蝦夷共和国建国に向けて頑張ろう!(笑)
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
例の大西運転手。館山自動車区で助役まで勤め上げたそうです。
そうでしょうね。総裁公用車運転手だったのですから。
むしろ館山自動車区助役のほうが不遇な感じを受けます。
そしてさらに、ウチの祖父が仲人したご夫妻、
なんと松川事件の被告(無罪確定)の甥だとか。
どんだけ、闇が深いんだウチの祖父
※周りに関係者がいただけですよ
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
さざなみ鉄道倶楽部の運転会がありました。
午前中はラーゲリの半ラー
途中でラーメン食べました。
いつものとおり
私の持参する車両は、茶色いやつばっかり(笑)
国鉄特急の大看板。「つばめ」号
EF58やっぱり素晴らしいですね。
殿をつとめる一等展望車。グラン某とかほざいている自称リーディングカンパニーの車に比べるのも失礼な、国鉄の矜持を表す車です。
定員14人
陸の王者だった国鉄の威信をかけた車です。
疾走する「つばめ」
友人の持参した独逸機。意外と日本国鉄貨車がよく似合いました。
独逸機に対抗すべく、星さんが瑞西にて影響を受けた10系客車で組成された「かもめ」号
気動車も来ましたよ!
旅客サアヴィスも格段に向上することでせう。
ちょっと懐かしいヤツも来ましたよ!
キハ53たちと並んで、北海道では世話になりましたよ。
もう一度でいいから、天北原野を疾走したいなあ。
あの頃の鉄道旅は楽しかった・・
そんな、思い出に浸っていたところ。
5短1長汽笛「非常事態発生!」
事故調査委員会が調査員を派遣し、現場検証のうえ、以下の通り勧告書を発表しました。
この勧告書は関係者の処罰を目的としたものではなく、事故再発防止を目的としたものである。
【当日の状況】
現場付近では、軌条下部の地盤(机)に不整合がおきており、軌条面で1~2mm程度の高低狂いが発生していた。
本件発生以前から、これに起因すると思われる小規模脱線も発生していた。
【発生時の状況】
キハ26形式2両で組成した準急列車運転士が曲線通過中、異常な動揺を感じた直後、前位台車は軌間外曲線内方に2軸脱線、後位台車も2軸脱線し、先頭車両は脱線傾斜し対向線を支障した。2両目は脱線せず、停止した。
その直後1両目キハ10形式、2両目キハ16形式の2両で組成した普通列車が現場にさしかかり、脱線した準急列車を認めた普通列車運転士は直ちに非常制動の手配をとるが、減速するいとまもなく、脱線傾斜していた準急列車に衝突した。普通列車は全車脱線せず、停止した。
【事故発生時の現場】
【原因】
線路敷設時の軌間整正の不十分が主たる原因と考えられるが、事故発生時において運転中の全ての列車に対し緊急停止させる方策が不十分なため、脱線に続く衝突を阻止できなかったため。
【勧告】
本件発生以前の小規模脱線が発生した時点において、軌条点検を行うべきである。
列車指令員を配置し軌道検査掛や乗務員からの異常が通報された場合、全線で一時運転を取りやめる方策を構築すべきである。
以上勧告するものである。
皆様あけましておめでとうございます。さて、平成最後というフレーズがやたらに連呼される昨今です。
年末は安定の紅白歌合戦を見て、「出場することで、周りをも盛り上げられる」大御所の芸を見て、近所で初詣しました。
二日は、これも平成最後の一般参賀が行われましたので、陛下に拝謁するのも最後なので、出かけました。
朝4時。館山の始発列車に乗ろうとしましたが、新年早々209なんかに乗りたくなくなり、千葉みなとまで車でワープ
朝ラーメンを食べて東京駅へ向かいます。
皇居に一番近い「電車口」は閉鎖されていましたから、「降車口」へ回りました。
初代鉄道頭 井上勝 像に挨拶。
結構何回も場所が変わって、卿も「なんだかなあ」って感じかもしれません。
ちょっとシゲシゲとみてみました。
すっかり綺麗になった東京中央停車場。
皇居前広場では早くも大行列。主催者発表では7時の段階で三万人とか。
この待機時間中に、日の丸の小旗が配られます。
これはまあ、お土産になりますね
まずは手荷物検査。手ぶら状態の人は早いです。
次の天幕は、金属探知と身体検査。
そしていよいよ待機場所に向かいます。
この状態で2時間程度待ちます。
少し明るくなりますが早朝なので、箱根駅伝の応援が聞こえてきます。もちろん右の方の軍歌もガンガン聞こえてきます。
(思わず題名と歌詞が出てくるのは我ながら笑える)
警察特殊車両も多数集結しています。指揮棒持った「超偉い人」らしき人が副官を連れているのを見たりします。
やがて開門。多分「公安」らしき眼光鋭い方にジロジロ見られながら進みます。
ワンさんも警備中です。
さていよいよ二重橋の最初の橋
とにかく凄い人です。
橋のたもとからはピーポくんのシマから皇宮警察のシマになります。
見分け方は肩の飾緒が白ではなく、「赤心」を表す赤になります。
お疲れさまです。(^_^)ゞ
二重橋の皇居に近い橋を渡ります
そしていよいよ
見えてきました。ここで三十分前くらい
案内板がありましたが、この看板は年二回の一般参賀くらいしか民草は見ることがないですね。
報道の皆様のエリア。超望遠の凄いスペックの機材です。
さて、この状態で三十分くらい、また待機です。
まずは、お出ましに歓喜に打ち振るえる民草。
お言葉の一部
適当過ぎる機材なので、これが限界
お言葉をいただき、歓喜に打ち振るえる民草
これで、おしまい。
宮内省庁舎
この日とか、年間何日かだけは、通り抜けが許される武道館方面の道。
すぐ近くの近衛師団司令部
今日は無料公開
近衛師団司令部から、あんまり変わってなさそうな箇所
通気口の飾りにはやはり陸軍の星マーク
さらに歩いて靖国神社へ。
露天商が商売をしています。どこかに寅さんが居そうな錯覚を覚えます。
靖国神社に行ったらやっぱり、ここに参拝いたしますねぇ。
さて、このあたりで昼飯にしたくなりましたので
こちらへ。
三個載せは自重しました。
皆様にとりましても、今年がよい一年になりますように!
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
一般人を鉄道博物館に連れていくイベントは、おかげさまで大成功でした。
マニア活動四十年にわたる独自研究ですからね(笑)
さて、日頃からシモヤマニアな活動をしていますが、なんとここに至り新たな証言。
祖父と国鉄バスで同僚だった方と往復の車中、国鉄話で盛り上がっていましたが、三鷹、松川、下山事件の話に至ると
「大西運転手は同僚だった」
というトンデモない証言に、会いました。
なんでも、事件後
「館山自動車区に居た」
だそうです。
館山自動車区はうちの祖父もいたので、その話の方も祖父の同僚でした。
ならばうちの祖父も大西運転手に会っていたんだなあ。
祖父から、もっと話を聞いておきたかったな。
国鉄本庁の銘板。下山総裁も大西運転手も見ていたんだよなあ。
また、続報がありましたら書いておきます。
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
来月は、ラーゲリで、一般人を鉄道博物館まで引率するノルマが与えられました。
まずは、休みを利用して下見。早速東ヲヲへ向かいましょう❗️
でも、たまには旅気分を味わいたいから、船➕京急で品川まで。
青函連絡船の青森港での回頭を思い出す。
入り船で入港して
バウスラスターも動かし急速回頭!
少しアスタン
着岸
可動橋掛けて、車が出入りします。
出港すると、浦賀水道を南下する・・・
軍艦とスレ違う
浦賀水道を出て行きました
ご安航を❗️
ってやったら「ご安航返し」
出港の際には、ご安航を! を出している船が居ないか見張り員は、必死で探すらしいです。
ご安航返ししないと、「恥」らしいですから。
今日は旗出してないからなんにもなし。
久里浜発電所も建て替えらしく、煙突が二本に減りました。
無事入港
京急ではドレミファインバータ車にあたりました。
流石、関東一の走り屋です。
さて、品川から東北本線直通が来たので乗ります。(まだ、違和感バリバリだな)
早速、鉄道博物館へ入場。
まずは、飯。
いつものハチクマ食堂が移転してました。
なんだか、ハチクマライスが高級化してたので、
スパゲッティーとトンカツ。窓辺には新幹線が間近を通過するので、お子様は大興奮ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ。
オッサンは無関心( ・д・)
技術史を年代別に展示してます。1970辺りの展示。懐かしさで泣けてくる。
のなゆうコレクションよりもう少し前のグッズ達。
保線コーナーは50kgNレールがない。50Tなんてマニアックなレール(東海道新幹線開業当初のヤツ)
線路つき固め方法。ビーターでつき固め音頭を歌ってやるんだよ
マルス1 初めて見ました。
パタパタやるマルス。古参の駅員は、「俺はこれなら早いぞ」っていまでも言います。
連絡船最終年の旅客誘致ポスター。ええ、出かけました。乗船しました。いまでも思い出します。
もう、何年経つのかなあ。一気に上野がつまらなくなった、あのダイヤ改正。
あの日を思うと泣けてくる。私にとっての玉音放送だった。
塗り直されましたが、JNRマーク無し。
ナハネフ22は一部入れるように。
この並び。オッサンはこれだけで嬉しい。
キハはプロジェクションマッピング? 要は書き割り。ちょっとリアルに。
貨物の特別展開催中でした。
まずは武蔵野操
大宮操配線図
シキ700。現車はまだ可動するらしいですが、見たことありません。
外のお子様鉄道にはなんと「EF55」登場!これはオッサン素直に嬉しい❗️
(((o(*゚∀゚*)o)))
しかし、このお子様鉄道。閉塞がよくわからん❗️場内G 出発G その先は閉塞なのか場内かわからんがR、さらに先もR?
オッサンにはわからない信号システム
お約束の回転ショーを見て退散
帰り道。大宮工場の脇に晒し首状態のEF58とEF15
EF15運転席側の窓から機関士席を見ました
さらに先には
美しい姿のD51
庫の中にはカシオペアがいました。今やこいつも、寝台車の名を語る束のボッタクリ兄弟
昔は堅気な商売してたのに。
大宮駅で立食い蕎麦食べて帰宅。
雨上がりの夜の駅で列車交換。インスタ用に試しに一枚写して見た。
チコちゃんじゃないけど
「つまんね~ヤツだな❗️」
まるで絵にならん。
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
さる土曜日。さざなみ鉄道倶楽部の運転会がありました。
午前中に野暮用があったから長浦駅付近の「よろづや」に向かいました。
つげ義春の「やなぎや主人」としてN浦駅前の店として、でてきます。
店の外観。入り口は広そうな印象ですが、左側の二枚目の扉以外は閉鎖(笑)
店のなかは、近所のご老体の集会所みたい。つげ義春マンガそのままのシュールな店内。
「カツ丼できます?」
「あいよっ❗️」
ご老体の皆様の談笑は続きます。
カツ丼到着!美味しいですよ(笑)
さて、さざなみ鉄道倶楽部の運転会❗️
キハ82 国鉄一家では秀逸な顔。
国鉄特急の矜持とインダストリアルデザインが、見事に調和している。
さあ、のなゆう鉄道から乗り入れてきましたよ
折しも北からは初雪の便り。
ロータリー除雪車❗️(笑)
このあとキマロキ編成が出ましたが、携帯の電源喪失により記録なし。
残念無念❗️
帰り道
祝100000キロ達成‼️
翌日は免許証更新で免許センターへ。
県内各地から続々集まる更新対象者。
地獄八景亡者の戯れにでてくる、死んだ者があの世で、地獄へ案内される入り口を連想しました。
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
久々に一人で泊りがけ出張になりました。ただし月末~月初のラーゲリ「ラボータ マシマシ大感謝祭」に2日もラーゲリを離れますがノルマが減る訳もなく、そのぶんは監視兵のAK47の下、ノルマをこなさなければなりません。
さてラーゲリのノルマを達成し、Токиоラーゲリへ移送のためシベリア鉄道ではなく、内房線に乗ります。
流石❗️ラーゲリです❗️千駄ヶ谷駅に8:00集合です。 20:00ではありません。
もっとも最南端ラーゲリの状況から、移送先に到着出来ないと政治将校がシベリアで木を数えることになるので若干改善され、千駄ヶ谷の国立競技場建設ラーゲリの脇に09:00になりました。
明けきらぬ内房線を北上します。乗車は現代の苦力専用の代用四等車です。
運べればなんでもいいんです。
途中、共産党の威信をかけた運動会の会場が建設中でした。
レジスタンスが看板に落書きしています。
すでに人柱もたちました。日本に帰ることなく、たかが運動会の会場作りに斃れたそうです。我々の命なんてそんなもんでしょう。
他にもあるでしょうが、もちろんそんなことを騒いだら反革命分子としてシベリア行き片道切符が渡されるでしょう。
さて移送先のラーゲリでは、各地のラーゲリから集められた捕虜達に政治将校からノルマが課せられます。
参加者用資料1500部袋詰め
1500人の政治集会参加者を受付誘導
明日の大会での表彰者の花100個製作
「急げ❗️働け❗️ヤポンスキー」
会場では、池上彰氏の公演もあり、ちょっと面白かったです。エレベーターで氏と一緒になったりもしました。
1900頃ノルマ達成。政治将校から
「翌日まで宿舎で休んでよろしい。」
と解散の号令がかかり、疲労と空腹で宿舎へ向かう途中
今日は革命記念日なんでしょうか
宿舎では、線路際の部屋があてがわれました。
宿舎ではなぜかわかりませんか食べ物や酒にありつけました。
政治集会の共産党幹部宴会の余り物か横流し品でしょうか?
さっさと頂きます。これでしばらくは生き残ることができます。
Токиоラーゲリは比較的街に近く、駅もあります。Станция Табатаと言うようです。
なにやら貨物列車が通過します。行き先や積み荷を聞いたらスパイ扱いですから、見なかったことにします。
窓が小さな列車がたびたび通ります。きっとシベリアの奥地へ送られる日本かドイツの捕虜か、粛清された人でしょう。
翌日、またラーゲリでのノルマがありますからラボータに出掛けます。
優秀な労働英雄や、優秀ラーゲリが表彰されました。無事にダモイを迎えられればいいですが、命あっての抑留生活。適当にノルマをこなすのがよろしいようです。
無事に政治集会も終わりましたので元のラーゲリに移送されます。元のラーゲリの政治将校から電報手配があり、今日中にこなすノルマがあるので、元のラーゲリに戻る急行貨物に輸送車が連結されました。夜にはラーゲリで激しいラボータが待っているようです。
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
鉄道模型とプラレールまつり2018も、おわって
ヤレヤレ( ´-ω-)y‐┛~~お疲れ様~
って一息いれた頃。
「九十九里で模型イベントやって頂けませんか?」っていう一言がはじまりでした。
元キサエチに、九十九里でもやっていただけないだろうか?と海の駅九十九里を指定管理者の千葉県観光公社から打診がありました。なんでも事務局には国鉄改革で観光公社へ転身された方がいらっしゃるそうです。
国鉄繋がり。あの国鉄改革で転身して苦労した方からのオファーなら、三代の国鉄一家、四代目崩れ、ある意味国鉄改革の犠牲者のなゆうなら協力しないというわけにはいかない。
しかしながら、いくつかの解決しなければならない問題があります。
機材輸送。
ジオラマのモジュールは2トントラック程度の分量。これは九十九里町の皆さんが協力していただけることに。
宿。
2日開催なので本番やモジュール組み立てなどを考えると、家と往復するのは非現実的。すると国民宿舎サンライズ九十九里を必要なだけ手配していただけることに❗️
さあ、ここまで言われては協力する以外の選択肢はなかろう。
「賽は投げられた」
のだよ。各々方。
協力いただける、さざなみ鉄道倶楽部の皆さんも集まりました。
ちょっと告知用に作ってみました。
かつて、九十九里には鉄道がありました。九十九里鉄道が東金~上総片貝まで結んでいましたが、およそ50年前に廃止。今ではバス会社にその名を残しています。
この九十九里に再び鐵輪の響を轟かせようではありませんか‼️
何とか、モジュールも仮開通。
とりあえず明日の準備も終わり、宿へ。
ここで、観光公社事務局長の先導でサンライズ九十九里へ向かうことに。
畏れ多いことです。
さらに、サンライズ九十九里では玄関まで支配人のお出迎え。
何者だ?俺達?
どうやら鉄道OB会からもご一報いただいたのか、予約名が「鉄道OB会」(笑)
畏れ多いお出迎えを頂き、宿泊者に先ほどの告知チラシをミニ判で印刷して配布いただいたり、告知にも協力いただきました。m(__)m感謝❗️
部屋に入るやいなや、浴衣に着替え、
大浴場でサッパリ❗️
バイキング夕食。腹一杯頂きました‼️
ヨーデル渡辺さんがミニコンサートやってました。
ヨーデルさんですよ。ヨードルさんではありませんからこんなショーではありません。
夜は、なりとし様とキャノン機関や、ウィロビー少将やら矢板玄やらシモヤマニアな会話で夜が更けてしまいました。
バイキング朝飯。さて、蒸気圧を上げてガンバロー❗️\(^o^)/
海の駅に掲げるヘッドマーク❗️
成東駅長以下、駅長犬にも登場いただきました。(^-^ゞ
さらに千葉日報さんにも、取材いただきました。m(__)m感謝❗️
こんな感じに記事になりました。
何とか一日終わり、
バイキング夕食2日目
カイジ豪遊❗️
一日外出券どころじゃないぞ‼️
夜はシモヤマニアでもなく
「爆睡」
「カイジ爆睡」(笑)
そして
メチャクチャよい天気❗️
人出も期待できそう❗️これは「天佑我にあり」
朝日に輝く朝飯(笑)
会場入り口にも告知!
プラレールコーナーは、大人気❗️
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
海の駅なので、海繋がり。「青函連絡船 摩周丸」
のなゆう工区を通過する「C55+スハ32宗谷本線風味」九十九里がデビュー戦
C55 50にナンバーをきめました。
ちょっとした逸話があるので興味のある方は見てね。
ほかにも子供に媚びた車両もありましたが、のなゆう総裁の心に響かないから写真なし。
無事イベントも終了。
海の駅の方から
「臨時駐車場まで満車になりました。盆暮れ正月か、ゴールデンウィークくらいな入り込みです❗️\(^o^)/」
さざなみ一同
(・・・それなりには、貢献できたのかなあ。・・・)
海の駅
「また、よろしくお願いいたします❗️閑散期の10月と2月の年間二回。とりあえず来年2月お願いいたします‼️」
さざなみ
「って早速次回オファーですか❗️( ̄▽ ̄;)」
さあ、どうする? どうなる?さざなみ鉄道倶楽部❗️乞うご期待(笑)
走り回り、愛想笑いと、汗もかいたのでぐうラーメンにて
大盛チャーシュー麺薬味マシ &ギョーザ食って帰ります。
遠いなあ。館山・・・・
最後になりましたが、ご来場いただきました、「お客様」&ご協力いただきました皆様に、感謝申し上げ、御礼の言葉とさせていただきます。
みなさまこんばんは。
のなゆう総裁です。
北海道地震からの観光客減少に北海道復興割引なる、宿泊費補助制度が出来ました。なんと宿泊費半額「国」持ち‼️
いょっ!安倍ちゃん仕事早いね~
さて、職場の飲み会から帰ってきた酔っぱらい(@_@)
嫁「出かけない?\(^o^)/」
の「どこに?(@_@)」
嫁「函館❗️\(^o^)/」
の「いいね~ (@_@) 寝る❗️」
嫁「宿取れたよ!ふっこう割半額だよ。ラビスタ函館❗️\(^o^)/」
の「?!(@_@)」
嫁「じゃ出発!」
の「函館までは?(@_@)」
嫁「東北道で青森まで、あとは新幹線かフェリーで函館\(^o^)/」
の「まあいいか。急行八甲田ごっこだな(@_@)」
てなわけで車で北上‼️
深夜の海ほたる。作業員のみなさまによる保守作業。お疲れ様です!
当然、酔っぱらいは助手席
浅草のウンコビルを通過。自分の中では
「上野」発車!
自分の心では
こんな感じ。
浦和通過!
気動車だから黒磯通過だぜ!
阿武隈でだいたい夜明け。ほぼ、郡山かなあ。
越河なんていう地名のあたりは、やっぱり道も峠越え。
米沢への分岐だから福島だな。
今日は福島通過!(笑)
気仙沼方面分岐だから小牛田かな?
合併で知らない市町村ばっかりだし、道だからよくわからないけど、多分、一ノ関。通過!
盛岡近くで停車! 花巻あたりなのか?
朝飯兼昼飯で盛岡冷麺❗️
盛岡からは、花輪線コース。東北本線から、なんて迂回ルートなんだ(笑)
安比高原とかぬかしてる「竜ヶ森」通過‼️ ハチロク三重連のパンパンした、排気音を轟かせてやる❗️
大館を通らず、小坂鉄道を通るルートとは、急行八甲田ごっこにしては、訳のわからないルートになるが、いつの間にか
弘前が近くなる。岩木山も見える。これでは急行「津軽」ではないか。
やはり気動車だから多層建てのわけわからん車両に乗ってしまったのだろう。
13時頃、新青森に到着。ここからは、北海道新幹線に乗ることにした。
まずは、ラチ内で一杯
八甲田を降りて青森に着いた気になってきた。
自分のスマホから
を流し、急行八甲田ごっこが終わった。
しかし、これ
高くないか?連絡船の三倍だよ(-_-#)
まあ、気にしたら負けだろうからとりあえず乗る。
しかし、当該は人身事故の煽りを食らって一時間延。所定一時間前のヤツがきた。
最近のサボは撮影出来ないな。こんなのどうでもいいけど。
奥津軽今別通過。本当に新幹線か?こんな津軽の奥地に新幹線か?
キツネかタヌキが化かしているんじゃないか?
本当は、捨ててあるオハ61の中で誑かされているだけなのでは?
青函隧道突入。
在来線時代と違って窓が曇らない
いつもの、謎工場は確認しなかった。函館山も見えない。矢不来らしきあたりかなというあたりを通過
北海道新幹線の車両基地なんだろうと思う。
一応、渡島大野におろされる。終点らしい。
中間ラチを抜けると
電車がいる。ものすごい違和感だ。誰だオマエハ?
函館駅には183が棄て?られている。
たぶん。かつての3番4番ホームの成れの果て。おおぞら、北海、ニセコが発着した長いホームは、すっかり短くなった。蕎麦屋も、駅弁もキヨスクもなにもない。寂しすぎる。
もう、30年前か。長生きしすぎたかなあ。
ちょっと雨の函館。実は今日の深夜に台風通過らしい。
この間の台風で連絡船摩周丸は拝観停止。残念すぎる。遠くからお姿だけ拝む。画面中央に後部煙突とファンネルマークのJNRの御紋章が見えた。
夜は近くでラッキーピエロ 海峡ラーメンも、函館駅イカ天蕎麦も無くなったので、これが味覚の函館到着儀式になりつつある。
チャイニーズチキンバーガー
ラッキーカツ丼(要するにカツ丼(笑))
暫し歩く。インスタ映えするよね。ならばオッサンは退散。
最上階が温泉。露天風呂や、サウナからはしっかりと摩周丸が見えた。ありがたや、ありがたや。(^人^)
翌日はラビスタ函館名物の朝飯!
朝日に輝く朝飯たち。(笑)
ちなみに、ラビスタ函館で年間に消費されるイクラは13トンだそうだ。
ヨーグルトと蜂蜜。なかなか美味。
翌日は朝から交通麻痺。当たり前だな。
東急バスみたいな函館バスに乗って観光。(家族サービス)
五稜郭タワー
どうしても登りたいらしい。(こんなのゼッテーやだ!)
ここは、嫁娘チームだけで昇ることに。
こんなところにガラス床があり
こんな風に見えるらしい((((;゜Д゜)))
本当は五稜郭は、こうやって作りたかったらしい。
しかし、大人の事情で
三角の張りだしは一ヶ所だけ。
函館名物の「夜の函館山」、バスの車掌時代の用語では、「夜山一丁」
なんだか、鉄道屋では千葉~中野三往復とか乗務を「今日は中野三丁だよ」ってよく言う。
まあ、娘はみたことないらしいから、夜山一丁!
ちょうど日没頃。
電気が消えているが、函館駅と青函連絡船。これは、なくてはならないモノ。函館夜景の中心近くにある。いつまでもこの灯を絶やしてはならない。
函館山を降りて十字街ちかくに
旧丸井百貨店 函館地域交流センターがある。外観も素晴らしいが、
内部も素晴らしい
特に
東北以北で最古のエレベーター
操作(マスコン?)
動作状況
五階です。
素晴らしいです。これはオススメ❗️
もうひとつの名物「焼きとり弁当」
ハセガワストア 焼きとり弁当 は鶏肉ではなくて、豚肉。うまいんだなコレ
で、またラッキーピエロ
ジンギスカンバーガー
チーズカレー
畏れ多くも賢くも紀宮さま、これは民草の食べ物でございます。
市電の行き交う街っていいねえ。爺になったらこんな街に住みたいものだ。
さて、最終日。いよいよ北海道を離れる。
ボッタクリバーみたいなところは止めて
大人一人1600円の青函フェリー
あさかぜ21号で帰ります‼️素晴らしい名前。あさかぜ11往復体制ですか(笑)
ドウブツツマヌは打電されていないようです。牛さんです。
汽笛も、銅鑼もなく出港!
あれ、レッコーショアラインじゃないの?
バウスラスターが作動してオモテはだいぶ開きましたよ!
なにやら、国鉄とはだいぶ流儀が異なりますね。
元の有川の貨物便の桟橋付近。
連絡船で見た函館山の景色。変わらないね。
コレは近代化したね
♪ご覧あれが龍飛崎北の外れと~♪
こちらは仏ヶ浦の近く。もう陸奥湾に入る。
青森入港。三角のアスパムの近くには八甲田丸が。
国鉄と違って、入り船で入港。あれ~
どうするんだろ?って思ったら
こうやって降ろすのね。(笑)
さて、帰るついでに。
小坂レール【バイク】を体験します。
エンジン付きに牽引してもらうヤツ
四人で頑張るヤツ
のなゆう乗車の二人動力一人客タイプ(笑)
これは楽しいよ!\(^_^)/\(^_^)/
もうひとつ小坂レール【パーク】
いろいろ貴重だが、白眉は
素晴らしい。実際稼働する空調。A・B寝台は個室のみマルヨ可
素晴らしい施設は、ほかにも
楽しすぎ❗️こんどは趣味仲間でいきたいな。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
のなゆう総裁です。
東京拘置所に行くことに決めました。(ついに逮捕された、ということではありません。)
そう。東京拘置所の矯正展 いわば拘置所祭り❗️(笑)
なんだか、芸人さんもくるようですが、拘置所レシピの
「臭い飯」
が食べられるそうです。
小菅駅から見える東京拘置所❗️
手前は刑務官の官舎だそうです。
折からの小雨も、ものともせず、早速向かいます。
テクテク歩くと早速、保釈金の保証(肩代わり屋?)
入り口近くには、差し入れ屋❗️があります。刑務所とは違って多少は許されているところがあります。
歴史を紹介するカンバン
手荷物検査を受け
さあ。ようこそ東京拘置所へ!
まずは、臭い飯を確保することが第一目標❗️(笑)
行列はおよそ30分まち。
無事に入手 臭い飯は麦飯。
コロッケも手に入れました。
よく見ると一年前に作られてる(笑)
コイツは豪勢なカレーじゃねえか❗️
いよいよオレは明日か・・・・
旧館。なんとも味わいのある建築。
さて。飯も食べたので、他の催しも、みるとします。
獅子舞のご披露。
各地の刑務所の産品販売。
革細工などが得意なのか、革靴やら財布やら。
自衛隊のみなさまも出店がありました。
警察犬。お利口さんですね。
東京消防庁の訓練風景の実演
こえ~~よ❗️(笑)
なにやら地下へ向かうスロープ。
刑務官さんが、見ているから入れません。
全体俯瞰模型。Xみたいなのが旧館。
*みたいなのが新館。
内部をみたいのが人情ってモンですよね。
はい。模型で内部に潜入(笑)
まずは、独居房
続いて雑居房
入っていた人いわく、雑居房の人間関係がキツイのだとか。
ガシャーン❗️(笑)
こんなのも
やってもらいたかったな(笑)
堪能しました。ありがとうございました❗️
さて、臭い飯は弁当もあったようです。
これはリベンジするしかない!(笑)
(収監されれば、毎日食えるよ・・・)
今日は、すぐ近くにある
下山国鉄総裁追憶碑
ここは、下山事件 の現場をあらわしています。本来の現場はもう少し上野寄り。
あの日、なにがあったんですか?総裁。・・・・
下山事件と館山 なんていうネタも。
荒川脇のロープ小屋方向を見ます。
これは、東武鉄道からロープ小屋と土手、常磐線方向。
あの日、なにがあったのか。
シモヤマニアの探求は終わらない。
さて、もう一ヶ所。新橋停車場
新橋停車場と0哩標柱
日本の鉄道の始まり。聖地ですな。
双頭軌条と締結金具
ホームの遺構 明治の文明開化の香り。ハイカラな乗客とマッチ箱の列車が発着したのですね。
ここでは、
オッサンホイホイな企画
内部は撮影禁止なので、ぜひご自分で見学をしてください。
最後の蒸気機関車特急に贈る渾身のデザイン「ゆうづる」ヘッドマーク。
鳥肌が立ちます。
なかなか濃い一日でした。
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
尋常ではない夏❗️ 漸く終わりが見えたような気がする今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
岡山の豪雨、大阪の地震、高潮、北海道地震と、大規模停電。暑さに文句言う場合ではないことは承知しておりますが、当たり前に寝る家があり、電灯がついて、冷房がかかる環境に感謝いたします。被災された皆様の暮らしが一日も早く復旧できますよう。
さて、今日は連休でゆっくり家でゴロゴロしていようと思った朝。学校へのバスに乗り遅れた娘を急遽輸送するため、特発のスジが緊急にひかれました。
無事に学校へ接続させると、やることもないので、ちょっとだけ蘇我ポポンデッタに模型転がしに。
せっかくクルマでウロウロしているので、ゆっくり訪問したかった終着駅へ向かいました。
鶴見線大川駅
まずは、こちら。
今じゃ列車で訪問するのが大変困難な駅
側線は草叢に。ホームも廃駅みたいな荒れよう。
日中は列車が来ないからバスをススメています。鉄道会社なのに。
昔はクモハ12が行ったり来たりしていたのに、いまやこんな有様。
構内には踏切
多分、連動していたであろう手動遮断機
おそらくこんな感じ。
のなゆう総裁の教科書「なんでもわかる 保線の実務」交友社 S52より。
大川駅は手押し入れ替えもやってたと思いました。
側線の外に残る専用線跡
一応現役(休止状態?)
次は浜川崎駅へ。
鶴見線側の駅舎?
鶴見線側のホーム
側線は使用していません。
続いて南武線側
駅舎?の上は貨物短絡線(廃線)
南武線側のホーム
駅名標の奥は東海道貨物線。貨物のトレインビューポイント(笑)
付近の中学生が描いた絵が飾り付けてありました。
「過去」(たぶん72系?)
「現在」(私はここまでだな。(笑))
「未来」(101系世代が考えた未来。だいたい正解(笑))
なんだか、いろいろ寂しくなった鶴見線、南武線界隈でした。
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
今年もやってきました、
「鉄道模型とプラレール祭り2018」
当初は台風直撃みたいな予報が出ていたので、あわや中止かとも思いましたが、次第に台風は進路を変えました。
だが、しかし今度はひたすら残暑❗️暑い❗️焼き殺されそうな日々❗️
朝ですよ。ちょっとやり過ぎじゃないですか?
会場も準備完了したのは、ギリギリ開場直前❗️
まずは前夜祭! 今年は夜行列車の特集「上野発の夜行列車」
解説タイム。
私も他に勢力をとられシテンが足りずボロボロ。
上野駅に申し訳ない出来。
ただ、客の皆様はどちらかというと
プラレール≫≫≫≫≫ジオラマ≫≫≫国鉄グッズ
という反応なんですよね。ちょっとさみしい。
大人気のプラレールコーナー(笑)
まあ、前夜祭はなんとか終了
オッサンどもは今日の宿へ
豪遊!
カイジ豪遊!
何ペリカなんだ?
こうしてオッサンどもは、意識不明になるまで酒を飲みまくるのでした。
翌朝も、ありがたくも多くのお客様。
そして、今年は
なんと、駅長犬にも登場いただきました。
日曜日は「交通博物館風味な解説運転」
「交通博物館」ですよ!
大事なことなのでもう一度いいます。
「交通博物館」ですよ!
まあ、なんとか及第点かなあ。という出来でした。
鉄道公安官 四人のグッズで完成度アップ(笑)
公安官手帳にも注目
射撃訓練で5発命中した記念の標的
スゴいよね‼️
のなゆうグッズの虫干
お子様に体験させる キハ30
複線の相手はC57とオハ61(笑)
国鉄帽子は辞退されてしまいました(涙)
鉄道OB会の皆様からの貴重なグッズ
腕章各種 電力の方ですね。
これは懐かしい本! 撮影地南三原駅
これは
こんなミニチュア(笑) 初見でした。
懐かしい❗️ 懐かし過ぎる‼️
うちにもあったなあ。
コチラも、ご協力いただきました。
シロクニの快速ニセコ。邪教時代だが、思い出深い。
快速とは言え、ニセコに初めて乗車した時は、伝説の「急行ニセコ」を彷彿とさせる列車でしたし、生きている「シロクニ」に感激!
乗車体験は鳥肌モノでしたよ。
日曜日も、無事終了。お客様がいなくなった大レイアウトで、ちょっとだけ役得。
やはり蒸気機関車は似合うね。
ディーゼルも煙を残し走り去る。
ハチマルも最後に快走!
見よ、美しい走り‼️
Eボゲボゲが百回通過しても敵わない。
まあ。ギンギラ好きな方は私を誘わずにギンギラでもやっていただいてくださいませ。
とんかつ和幸 メッカ支店でも出来た日には、私もコペ転して、死期死魔でも崇めますわ。
しみじみ振り返って一献。
皆様お疲れ様でした❗️
8月25日、26日南房総市丸山公民館にて
鉄道模型とプラレール祭り2018
開催いたします。
丸山公民館で僕と握手‼️
皆様、災害のように暑い夏。
いかがお過ごしでしょうか?
すっかり暑さに殺られっぱなしの、のなゆう総裁です。
平成最後の夏。8月15日。73回目の終戦の日。
ラーゲリが休みになりましたので、お出かけいたしました。
今日は、やはり、靖国神社にいってみたくなりました。
では、いつものとおり。
館山、君津で乗り換えて
東京中央停車場へ。
今日は降車口ではなく、電車口から出場しました。
畏れ多くも賢きあたりの、専用口のとなりです。
なんで、そのまま営団に乗らないのか?
それは、
この舞台を見ながら近づくことにしたからです。
(これから見る方には、岡本喜八版を推薦いたします。リメイク版もあるけどね・・・再現度が段違いですから。)
賢きあたりにおかせられましては、正午より式典に御臨席あそばされます。
宮城事件 の舞台になった皇居と陸軍近衛師団司令部を見ます。
テクテク歩いて近衛師団司令部を拝見いたします。
ちょうど時間としては、戦争継続派のクーデターは偽命令に依るものとして、失敗し、近衛連隊が原隊復帰するあたりの時間。
武道館脇を通れば、靖国神社は直ぐですが、今日は賢きあたりがいらっしゃいますから、民草は通れません。
迂回しながら
大鳥居。
丁度、正午に門付近に到着。静まり返る靖国神社の境内には蝉時雨が一段と響き、隣の武道館の戦没者追悼式から、君が代斉唱の中継に続き、賢きあたりからの玉音が聞こえてきました。
うちも、南方で戦死した方もいるので参拝。戦争責任やら、なんやらかんやらについては、私からはここでは、何ももうしあげませんが、拝殿の前で今の日本が在ることに感謝の念を捧げました。
さて、もう一ヶ所参拝します。
軍人だけでなく、軍馬、軍犬、軍鳩などの慰霊碑をみつつ、遊就館を訪れます。
南方帰りのC5631です。
泰緬鉄道から、C5644とともに奇跡的に日本に帰ることができました。
よく見ると、実は何両かの部品が混じっています。
先輪C5646(写真なし)
機関士側ラジアスロッド(だったと思う)
C5612
助士側リターンクランク
C5623
助士側炭水車軸箱
C5613
と、ここまでで、すでに
C5631
C5612
C5613
C5623
C5646
と、これだけの刻印を発見できました。
日本から一旦バラしてタイに運び込んだ際に、輸送状況から組み立てタイミングがバラバラになったため、いろいろな罐のパーツが組み込まれたらしいです。
C56は160両製造されましたが、実に90両が「出征」しました。
日本に帰還できたのは2両 31号機と44号機だけでした。
31号機には他の4両のパーツが一部だけですが、一緒に帰還できたのですね。
大井川の44号機も、どんな刻印が刻まれているのか、一度マジマジと見て見たいものです。
今でもタイには23号機が静態保存されているそうです。
鉄道連隊のマーク。
第五連隊(千葉)、第九連隊(津田沼)が担当したそうです。
31号機は泰緬鉄道開通式に写真に収まっています。
出征前は七尾機関区にいたそうです。
今の能登半島の鉄道を見たらなんということと、思うかもしれません。
機関士席には入れませんが、カメラだけ失礼しました。ほぼ、機関士目線です。
炭水車は薪焚きなので、改造されています。
また、いつか会いにきます。
もう少し散策。
九段下にある、軍人会館。近く取り壊されるそうです。
一回は、中に入りたかったな。
近くの昭和館にも、いきました。
なかなか興味深い。
戦争当時の暮らしと、戦前、戦後。いろいろ展示されています。
昔のニュース映画や、SPレコード音源など、なかなか貴重な資料も。
もちろん下山事件、や三鷹事件などのニュース映画も。おもわず、見入って時のたつのを忘れるほど。
なかなかです。
平成最後の夏。昭和93年の夏。これから日本はどこへむかうのだろうか。
皆様こんばんは のなゆう総裁です
さて、さざなみ本線が新線切り替えになりました事は前回記録しておきましたので、のなゆう工区だけの建設記録をのこしておきます
さて、寸法はL900×W300×H100
線路別複々線
どうせなら、のなゆう鉄道の車両たちが引き立つようなな工区にしましょう。
黒岩保美 さんが、最期の蒸機特急になる「ゆうづる」に贈った渾身のヘッドマークのように。蒸気機関車、国鉄黄金時代を駆け抜けた車達の最高の舞台になるように!
あのヘッドマークはC62に最高に似合うけど、ED75やEF80なんかには、壊滅的に似合わない。
まあ、一工区くらい、こんな区画があってもいいじゃないですか。
Eボゲボゲなんかは、学生さんがブイブイ走らせてくれるでしょうから、そちらでお楽しみくださいませ。
では起工式。着工です。
期間と夜景化のために線路以外のゾーンは建物と道。あとは田んぼかな。
早速、DIYの店で地面を作りますが、意外にも、あんまり精度がよろしくない。
設計上はピッタリだったけど、施工したらh5mmオーバー。急遽やり直し。
これではいかん。
KATO大本山へ工事の安全祈願と買い出しで参拝しました。
大本山到着。
小学校三年の女の子が作った見事なティンバートレッスル。スゲー❗️
HOのキハ58。欲しいグラグラする。
Nゲージのリニューアルしたキハ58が、
「総裁!私を一緒に連れて帰ってくださぁ~い!」
「セットとは言いません!せめて58+28の二両だけでも!」
とキハ達の声を振りきるように
「もう少し待つのだ!」
「必ず引揚船は本職とともに君たちを迎えに来る!」
長声一発。興安丸は港を出て行くのでした。
KATOレールが条件です。自動信号機も組み入れて見たいと思います。
(ショボい割には高くて、付属品多くて面倒なんだよねコレ)
レールと建物達の仮設具合
一軒ごとに電飾しますが、建物内部の仕切り壁の再現がなかなか厄介。電飾化は一軒一軒壁と二階の床を破壊する難工事に。
バラストを撒いてみました。道が狭い❗️
バス通りは諦めます。
もう一つの側はお客様から見るから、建物は置かず、農地に。
昭和アイテムの通信線(ハエたたき)も重要。ジオコレの製品のクラスの大きさは大幹線の戦前くらいなので、半分くらいの大きさにカット
電飾化とテスト
電球色の街の灯り
信号機の灯り。(ちょっと明る過ぎでは?)
いよいよ本番。
当日は、なぜか255系が来ると脱線したそうです。なんでだろう。バラストがあたったかな。
残念ながらEボゲボゲ系の試験はしなかった(当鉄道では在籍しないため)
でも、これは、保線屋としては恥ずかしい。
あとは完成後、以外と通りが悪い。これも保線屋としては恥ずかしい❗️
のなゆう総裁へ
ここは、何処なんだルバング島か、インパールか? ブインの基地か?
本当に内地か?
暑さにすっかり殺られた のなゆう総裁です。
さて、今年も開催された君津ミニ鉄道フェスティバルも10回目だそうです。
凄いですねドンドンパフパフ❗️
今年はジオラマリニューアル。さざなみ本線は新線に切り替えしました。
全体図❗️
のなゆう工区も連結されました。
隣接工区は、チームひかりごけ から
来月の、南房総鉄道まつり には光っていただきます
さざなみのとなりは学生さんを中心とした若手チーム「上総鉄道紀行」
看板も「渋い」
ちょっとこのテーマ曲を思い出します。
しかしながら、展示物はやっばり今時の学生さんなんだなあ。さっぱりわからんけど、多分だんだんそういう路線が大宗を占める時代が近くなってきたのかなと思う。
決してクサしている訳ではありませんから念のため
これは、なにしろ今時の車両どもに全く親しみを覚えられない中、溢れ返った鉄道愛の行き着く一つの終着点なんだろう。
かつて贋社員だったころ
「高崎の12系に来てもらおうよ」
「御召のデーデー842も連れてくれば面白いですよ」
と、発言していたら
「鉄道車両を擬人化してはいけない! 高崎から【借りてくる】と言いなさい」
と指摘されました。
今なら、躊躇せず指摘される前にいえます
「高崎からEボゲボゲを借りましょう」ってね
キミエチの挨拶を頂戴するスタッフ一同
さて、みなさんの大ホール以外にも
廊下?のプラレールコーナー
木更津からは信号通信区のみなさんも登場!
エチの盛夏服記念撮影コーナーも拡充
いつもの方も(笑)
さて、こちらは
いつもの、のなゆう総裁の国鉄原理主義者の隔離病棟または、収容所ともいう203号室
開催中は、ほぼ、ぶっ通しでお相手いたしましたので撮影不能でしたが、なんと
東京喜多鉄道管理局 から局長自ら会場視察来場賜りました。大変ありがとうございました。
楽しんでいただけましたか
(国鉄帽子被らされたお子様がDMH17エンジンやら、鉄道唱歌やら、9600+オハ61とキハ30のすれ違いでドキドキするわけネーヨ❗️)って声が聞こえた気がする。
準備中なんかに来たオッサン達がしみじみと見学して
「おぉ~」とか「これだよコレ」とか、ヒトくさり昔話する時間が楽しみだったりしてます。
さて、戦い済んで日が暮れて。
今日は遠征試合だったからホームへ帰らねばなりません。
この隔離病棟グッズとともに。
帰宅すると既に今日も残すところあと一時間少々。
一人慰労会をする前に寝落ち。
あさから
タッブリとオッサン汁を吸い込んで塩噴いた作業衣を洗いながら書いております。
来月は
皆様、ご来場お待ちしております。
会場で、総裁と握手‼️
君津生涯学習センター主宰事業
「ミニ鉄道フェスティバル」
今年はジオラマはフルリニューアル!
のなゆう鉄道割り当て工区も準備真っ最中❗️
皆様遊びに来てくださいね❗️
皆さまこんばんは。のなゆう総裁です。
三寒四温の候。皆様も御体御自愛くださいませ。
君津のさざなみ鉄道倶楽部では、レイアウトリニューアル真っ最中❗️
いくつかのモジュールが新しくなりました。
まずは、なりとしさん作成の水鏡セクション。
のなゆう鉄道からの、乗り入れ車がお邪魔しました。
のなゆう鉄道の新型気動車準急(笑)
以下のとおり、総裁の談話が発表されました。
これからは、このような新鋭気動車など動力近代化にも、力を入れて優等列車をドシドシと増発いたします。
でも。やはりコレもいいよね。
と、記者が帰ったら汽車がきました(笑)
さて、模型以外にも、すっかり回りも春の装い。
チョッと身の回りの面白かったモノたちも
https://goo.gl/maps/yyoJpemCuZS2
だんだんカエルに見えてきませんか?
ニコニコドライブイン
https://goo.gl/maps/564uHmwomsK2
昭和感満点❗️昭和のオネエサンが接客係です。
今日はカツ丼にラーメンも食べました‼️
幸せな一日(笑)
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
さて、私の中で宿題?だった地へ行ってきました。
はい。
なにやらオネエサンがいっぱい居ます(笑)
宿題はコレ‼️
連動制御盤
勝手に遊べる制御盤(笑)
北鹿島方へ列車を設定!
今度は、奥野谷方へ設定!
上下方向から接近しています!
列車交換後、それぞれの方向へ発車!
(よく見たら、コレ❗️マズイっす❗️ 総裁!引き間違い!)
右下のテコを引くと踏切鳴動!
通票閉塞器!(オネエサンチョッと邪魔(笑))
スライダー と 内部も見られます
ちなみに昼はオネエサンがいっぱい描いてある店で食べました。ごちそうさまでした‼️
新幹線駅に抜擢された渡島大野駅と一文字違いの「鹿島大野駅」
無人駅なので、ホームにお邪魔しました。
いい感じのバラストの色!
駅を水戸方へ出ると真っ直ぐにどこまでも続くストレート!気持ち良さそう❗️
自由通路と跨線橋が一体化しています。
大洗からのフネに乗りたくなりました。
帰りに模型屋に行きましたら
キハ26のバス窓に遭遇したので思わず即買い!
早速シテンしました!
帰り道にラーメンを頂き、幸せな一日でした。
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
北海道の鉄道が、いろいろとその在りかたを問われている。
チョッとこのページにきたのも何かの縁。一緒に考えてみませんか。
昭和26年の北海道の鉄道
平成30年の北海道の鉄道
いかがだろうか。既に鉄道が災害にあっていて、復旧されていない安楽死待ち路線もあるが、かつて北海道に血管のごとく張り巡らされた鉄道は、何某本線の系統以外は、ほぼ廃止されてしまった。
体を維持する血管がなく、いろいろなモノが行き渡らない場所が出てきている。
鉄道が「無い」それらの地域で、大繁栄している地域があるだろうか?
これは、体であれば、壊死する部分であろう。
現に、いろいろな場所が中国資本によって買収されているらしい。
JR北海道によれば、自社の商品である「鉄道」は「全線赤字」
つまり、ウチの商売は全く成り立っていません。という状態。
経営危機はいろいろ現れて来ていると思われるのが、一例として北海道新幹線札幌開業時に札幌駅をどうするのか?
という問題点。
現時点で札幌駅を改良して北海道新幹線を迎え入れる為には、在来線の転轍機、信号機を移設や撤去或いは新設しなければならない。
転轍機、信号機は複雑に組み合わされ、繋がれているが、コレを改良するには職人芸的な部分が多々ある。まして大きな駅の多数の転轍機・信号機の組み合わさは複雑多岐に亘る。
ところが、いまJR北海道にはコレを計画できるマトモな人材がいないそうだ。
採用抑制や現場の遣り繰りで凌いできたが、いよいよ「技術の断層」が顕著になってきた。
もともと北海道は鉄道で営業ベースになることなど、「ハナからムリ」として、分割民営化された際、経営安定資金の利子で暮らせ。とされた。
どのくらい、経営環境が厳しいかは
コレで判るだろうか。
ここに540万人が暮らしている。
ここに540万人で暮らしているのだ。
「バスと、トラックがあれば、いいじゃないか?」
コレは、雪の無い地域の発想で、そういう方は雪の高速道路を走行してから、言っていただきたい。
コレも、読んでいただきたい。
内房線。明日は我が身である。
さて、このJR北海道、利用者のほか、もうひとつ関係者がいる(いた)のではないか。
石北本線や根室本線などの建設時、ロクな記録もなく北辺に斃れた工夫、所謂「タコ部屋労働者」ではないだろうか。
日本の国土発展の為、北辺に鉄路を築き上げた彼らは、列車が運行されている間は、納得できるだろうが、路線が廃止されたら、彼らの魂はどうなるのだろうか。
鉄輪の響が彼らへの「読経」であり、
銀色に光るレールが「鎮魂碑」ではないだろうか。
かつて、まだ立入りが規制される前の石北本線常紋信号場に訪問したことがある。
同行者と二人だったが、誰もいない待避線から、バラストを踏みながら歩いてくる音を聞いたことがあった。
何だったのかは敢えて確かめなかったが・・・
心霊などで名前がでる事もあるが、タコ部屋労働で、多数の死者を出して完成した路線で、この辺りが一番の難工事であった。
実際常紋トンネルでは、側壁補修で白骨死体が発見されたり、線路際にそのまま埋葬された人の白骨死体が多数見つかり、慰霊碑が建てられた。
この区間は、特急でもようやく登る急勾配区間。私も乗車する際は斃れた労働者が安らかにと念じ乗車する区間でもある。
これから、このような区間が打ち捨てられ、誰も通わなくなり自然に還る時に、鉄路の霊は何を思うのだろうか。
みなさんこんばんは。
のなゆう総裁です。
たまには、高尚な休日を過ごすべく、おでかけしました。
しかし、寒い。あったか南房総なのか?本当か?
腹が減ってはと、まずはコレ。
何時もながらの大迫力に満足。
唐揚げにオマケのように蕎麦。(笑)
変わらぬ迫力ある蕎麦?を味わう。
さて、今日はコレ見ました。
アンデスってナンデス?
安中ですか?違います。(笑)
物凄い自然環境で育まれたアンデス文明。
チョッと興味深いのは、彼らの死生観。
放っておくと、死体はミイラに。死んだら土に還るという、湿潤な文化ではなく、乾燥した世界観。
何時までも死者は近くにいる感じ、彼らには「死んだら大阪あたりに行く」みたいな、ちょっと離れた場所へ引っ越すようなモノなのかなあ。
ミイラの皇帝が街を練り歩いたり、謁見したり。ちょっと俄には理解できない文化です。
インカ帝国は黄金文明とも呼ばれていましたが、スペインのピサロに滅ぼされ、黄金細工は鋳潰され大量に持ち出されたとか。
南米に一大勢力を築き滅び去ったアンデス文明。
ぜひ見てみて下さい。
さて、もう少し常設展示を見ていたら、
初代マルス。
初の座席指定券売機、マルス101
国鉄初のリアルタイム処理の座席指定「コンピューター」
後ろの機械はまさに「電子計算機」
謎の円盤がグルグル回り、よく分からないランプが激しく点滅して、なにやら一生懸命仕事している機械。
オッサン世代がイメージするコンピューターですね。
昭和30年代、始めてコンピューターを作れ!と言われて集められたオッサン達。
全く知らない世界に放り込まれた国鉄職員と日立社員。
物凄いモノ作りのドラマの末に完成したそうな。
あとは、白衣を着た人が吐き出された穴あきテープをまじまじ見れば完成(笑)
いまや、座席指定は当時の何倍処理しているのだろうか。
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
さて、チョッと前に、いすみ鐵道の国鉄キハ軍団に会いに行ってきました。
平成の世も30年。いまや鉄道も「知らない車両」ばっかり。
特に、儲かっているからか、車両を経費で次々と更新する某日本鉄道は、ギンギラの安っぽい車ばっかり。
もともと鉄道屋じゃなくて駅ナカに客を運ぶ為にやってる駅ナカ屋なんじゃないのか?と思うことも。
まあ、そんなのは気にする方が負けなので、いまでも会える国鉄に会いに行ってきました。
上総中野駅に現れたキハ28 と 52
絵になるねぇ。
アイドリングするDMH17エンジン
早速乗って見よう!
濃紺のシートが泣かせる。
チョッと待ってると、となりに小湊鐵道登場!
小湊鐵道もDMH17エンジンなので、山の小駅に響き渡るDMH17!
素晴らしい! オッサン感激!
大多喜駅には、ビンのコーラが売ってます。(ホントは一杯やりたい)
ビンの飲み物なら、これ使いましょ❗️
栓抜きは、戦後の国鉄車に標準装備だったよね。
ちなみに星晃氏曰く、栓抜きを装備していない時代の車両は、肘掛やら窓枠やらいろいろな場所で、こじられたので栓抜きつけて検修からは喜ばれたとか。
訪問時には、「大人の輪投げ」大会が開催中!
見事、輪投げ成功(笑)
国吉駅では名物駅弁を食べよう!
無事に入手!ノンアルコールビールで雰囲気だけ盛り上げ!
なんだか、昔は良くみたサボ。一部区間普通扱い。
あの頃に戻れるかも。
ええ。戻りましたよ。あの頃。
鉄道旅がまだ、アツかった。
オッサンもアツかった。
アナログな運転台。転がす運転士の技もアツかった。
大原駅。右の某鉄道側は、キヲスクも閉店し冷えきっている。
レストラン列車だったから、気分のおすそ分けが販売されていたので、早速味わう。
列車は国吉駅に戻って来ました。
タコ飯販売基地。今日も完売。盛況です。
動画もチョッとどうぞ\(^o^)/
「輪投げ」
「上総中野発車」
「大原駅発車」
「大多喜駅発車」
まだまだがんばる昭和の国鉄気動車。
みなさんも会いに行って見ませんか?
皆様こんばんは
のなゆう総裁です。
虎は死しても皮留め、列車は廃止されても、「記憶」を残す。
先日、上野をこよなく愛する方を交え、上野駅について熱く語り合う宴がありました。
その際に、夜はみんなで寝台車体験だね!と相成り候。早速宿を予約いたしました。
(公式ページ)
http://trainhostelhokutosei.com/
寝台特急北斗星のパーツをできる限り使用して、寝台車体験できる宿です。
最寄駅は「馬喰町」(笑)
深い!深いですよ!DEEPですよ。
なんといっても馬喰町駅ですから。
早速宿へ。
「バーーン!」
いいですね。闇夜に妖しく光るヘッドマーク。
(でも、ヘッドマークは光らないんだよね。なんて野暮は言わない御約束)
カウンターの上のサボ風案内板。
隅丸ゴシック国鉄書体なのが泣かせる❗️
良くわかっていらっしゃる。LED看板なんか付けられたら興醒めしますからね。
受け付けで寝台料金を支払います。アメニティはすべてオプション!まあ寝台車ですからね。
部屋の入り口。細かいパーツが往時を思い出させる。
なかなか再現された寝台区画。
敷き布団が追加され、毛布が掛け布団にグレードアップ(笑)
寝台幅はそのままですが、壁との間に謎のスペーサーが追加されチョッと幅広く(笑)
今日は下段。
全く揺れず、走行音もなく、まるで「抑止状態」みたいでした(笑)
なんだか、すぐに眠くなってしまったので寝てしまいました。
(寝台車で寝るのはアタリマエですよね、でも「鉄」なら寝るのはモッタイナイって結構起きてます。)
翌朝
懐かしの食堂車コーナー。
「和定食ですか洋定食ですか?」
と聞かれることも、ましてやオネイサンもいませんが、勝手に一晩中くつろげるコーナーになっていました。
朝になっても、そこはやっぱり「馬喰町」
チョッ懐かしい気分になった夜でした。
皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします!
さて平成30年、天皇陛下の御退位が発表されるとともに、秋篠宮眞子様は、ご結婚されるため、最後の一般参賀になるので、出かけることにしました。
一回目のお出まし一時間前には着きたかったので8時40分頃に東京駅着
東京中央停車場。
「大国、露西亜帝国に勝利した大日本帝国の玄関に相応しい駅にスベシ!」
と国の威信にかけて建設した
大日本帝國鐵道省の東京中央停車場
ちゃんと降車口から出ましたよ!
(乗車口=南口 電車口=中央口 降車口=北口 ですからね!)
さて、同じような事を考える方は多数いるようで、既にかなりの人出
だんだん人が一杯に!
二重橋前はピーポくんのシマ❗️
もはや、身動きできません。
やがて、一回目のお出ましがあったようですが、全く入場できません。
二回目のお出まし前にようやく二重橋を渡りました。
まだまだ二重橋前で入場待ちの方は多数!
やがて、二回目のお出まし
天皇陛下の御言葉を賜ります。
歓喜に震える臣民!(笑)
ここで、三回目のお出ましに備えなるべく前ににじりでます。退場する人と三回目のポジショニングの人が交叉するので、かなりガヤガヤします。
後ろにも、人だらけ
三回目のお出まし!
眞子様もかなり近くに!
三回目の御言葉(笑)
またまた歓喜に震える臣民(笑)
おまけ
陛下。いつまでも、お元気で!
眞子様。いつまでも、御幸せに!
このあと、宮内省庁舎、近衛師団司令部庁舎を見ながら靖国神社へ。
なぜか、このコースは「や」の付く自由業のかたも多数。チンピラではない極道な方々が一緒になります。(笑)
最後に東京駅の「つばめグリル」にて遅昼
皆様にも、よい一年になりますように!
みなさま、こんばんは。のなゆう総裁です。
さて、毎年楽しんでいた「ばんもの」
遂に運転区間短縮が宣言されましたので、お別れ乗車することにしました。
新潟発の「ばんもの」に乗るためには、朝0700迄には東京駅に到達する必要があります。
私の最寄駅からは全く無理。今回もインチキして木更津から出ることにしました。
今回は更にインチキしてバスで東京に。
209見たら急激に乗車意欲がなくなりました。
さて、新潟迄はいつもながらコイツに乗らなければ。
とりあえず御約束の一枚。
もはや凄くどうでもいい感じがプンプン
隣は新函館行きがいました。まだ乗車したことないんだよね。コイツも。
内田百閒先生なら「トオストとウヰスキー」なんでしょうが、サンドイッチとビールでポソポソと朝御飯。
今日の万カツ
さて、熊谷でN澤氏と合流。越後湯沢で新潟行きに乗換え。
ホームの温泉からは盛んに湯煙。懐かしいねコレ。在来線ホームにあったやつ覚えている人いますか?181とき、165佐渡、EF58臨急なんかで来た頃をふっと思い出しました。
新潟駅は高架化最終段階。新幹線から対面乗換えで「いなほ」に乗換えできるようです。
上野発特急群で一番つまらなかった「農協マーク」といわれたアレが在来線特急でこんなにも出世とは・・・・
新高架新潟駅は密閉屋根付きと前後の33‰が致命的らしく来年は、ここに蒸気機関車は来ない。
雪を載せた屋根。反対側は
蒸気機関車!
まずは、はやる心を抑えEF81にご挨拶しよう
既に切り離され入替えモードに。
遅かりし由良之助!
この切離しシーンつひに見ること能わず❗️
ならばと切り返し先頭へ
今回も副駅長のお出迎え
地上駅と蒸気機関車
そして、こいつらも
「オコ次郎とオコ美」
「警部!あいつらですよ」
「あせるなカメさん。まだ令状もない。任意同行なら絶対黙秘を決め込むはずだ。」
「警部!まずは、列車に乗りましょう」
「新潟駅だ!という状況写真も忘れるなよ」
「はい!警部」
(クリックで動画スタート(笑))
「警部、ちょっとやりませんか?あいつらも動きは無さそうですから」
「警部!新潟県警によると、この先の津川駅のホームにやつらのヤサがあるようです。ガサ入れますか?」
「まあカメさん、令状もない今はダメだ。やつらのヤサに出入りする、交遊関係だけ洗うんだ」
「警部!やつらです!」
「交遊関係の洗いだしだけでも大変だな」
「警部。やつらはどうやってここまで、先回りできたのでしょうか?」
と、酔払いながらも会津若松に到着!
「警部!またあいつらですよ!」
会津若松は駅長の出迎えです。ピンク頭は去年も見たかな。
今年はブラスバンドの出迎えも!
今年は、たまには観光してみますかと、いうことで、市内散策。
まずは、白虎隊自刃の地。恥ずかしながら一度も来たことない場所。
駄目なオッサンは
当然、動く歩道。このヒーヒー階段のぼる人を尻目に「ヒャッハー」状態の落差!
白虎隊の皆様の墓 。線香の煙絶えず。
やや歩いて自刃の地から鶴ケ城方面を見る。
ここで、城下町の火災を落城と見た白虎隊は次々に自刃。
日本人、武士道、忠義。考えさせられます。
サザエ堂。一応御約束なので昇りました。
街中を周回するバスには強い威圧感というより恫喝と強要みたいな(笑)
否と言おうものなら。・・・・
はい。来ましたよ鶴ケ城
せっかくだから登城しました。
先程の白虎隊自刃の地方向。
今日の宿、会津若松駅前東横INN方向(笑)
大変歴史に造詣の深いN澤氏と回ったので、かなり理解度が上がりました。
ここで、オッサン達は夜の街へ
馬刺し、ニシン、漬物でチクッと一献
〆のカツ(笑)
会津若松の夜はふける。
翌朝
バシバシ朝御飯食べて出陣(笑)
今日はレンタカー。アカべえ号。
物凄い濃霧のなか喜多方駅着。
ここから、日中線会津熱塩駅を目指します。
恐らくアカべえ号も日中線初乗り入れ(笑)
程なく会津熱塩駅着!
ここは、日中線記念館として活用されています。
この旅客窓口と手小荷物窓口の高低差(笑)シブイ。渋過ぎる!
出札窓口体験もできます。ダッチングマシーンもあるから日付けも入れられます。
さらに構内には
それぞれ、車内にも入れます。
だからこんな写真も(笑)
楽しいひとときでした。日中線は、ここから更に山形県を目指したようですが、ここで断念し廃線に。でも地域の皆様の鉄道愛で、非常に美しく整備されています。
「会津魂」
なんですかね。
もう一度、喜多方駅に戻り、日中線遊歩道を堪能しました。
露天ですが、美しく整備されています。
さて、喜多方なので、やはり、ラーメンを
美味しいね。
まだ、今しばらく時間があるので会津若松行のクリスマストレインを写真に。
なかなか、良いロケーション。
適当に撮影した割りにはそれっぽく(笑)
七日町駅付近の新撰組資料館に寄りました。
一階が古物商で、こんなのやら
こんなのも。(笑)
会津若松駅でアカべえ号を入区させたあと、何気なく発見!
国鉄の「工」マークの入ったマンホールの蓋
工部省鐵道掛の時代から国鉄のマークとして、連絡船のファンネルマークや、用地境界杭、ヘルメットにも色々使われたマーク。まだまだ現役!さすがは会津!
帰りはグリーン車がとれました。
「警部!またあいつらですよ!」
「カメさん。あいつらのアリバイがどうしても崩せない。今回はあいつらの勝ちだよ。」
「おや、刑事さん。東京にお帰りですか?会津はお楽しみいただけましたかな。オコ美、刑事さん達がお帰りだそうだ。丁重にお見送りして差し上げなさい。」
「刑事さん。また、会津に来たときにはお会いしましょう。ホッホッホッ(* ̄∇ ̄*)」
「刑事さん。クリスマストレインならまもなく発車ですよ!」
「くそー。警部!悔しいです!」
「行こう。カメさん。」
グリーン車展望デッキはこんな感じ
帰りはドンドン暗くなり、夜行列車の雰囲気
帰りの津川駅。後部のフリースペース展望デッキ。まるで場末のスナックとは言わない御約束(笑)
楽しい時間は、あっという間に過ぎ去り、いよいよ最期の新津~新潟。
複線の整備された軌道をかつての急行用旅客機が駆け抜ける!
急客機の本領発揮!最期の本気走りはちょっと物足りないが、客車7両で平坦線だからこんなものなのかも。そして多数のポイントを渡り地上駅の新潟に滑り込む。
旅は終わった。
乗客たちは三々五々散っていった。ホームの端には愛好者が旅の余韻、新潟駅と蒸気機関車、電気機関車、客車を撮影していた。
お迎えのEF81が連結され、回送準備が整えられる。
新潟鉄道管理局と一体化した新潟駅と蒸気機関車、客車、電気機関車に別れを告げる。
ここで時間切れ。旅の世界から現実世界へ時速200キロで引き戻される。
些細な事なんだろうが、弁当パッケージは既に来年の運転区間短縮バージョン。
こういう事の積み重ねが、鉄道愛が足りない人達の作品になるのだろう。
パッケージは遠慮なく捨てた。
木更津につく頃には既に日付けが変わりかかったころ。
最後に木更津駅ラーメンを食べて締める。ここのラーメン店の名前は「SLつけ麺」(笑) SL感は無い。蒸気機関車ではないとするとラーメン屋につけられたSLとは、なんなんだろう。
皆様こんばんは。のなゆう総裁です
先日、渡道した記録を残しておきます
息子のところへ出かけることになりました。
しかしながら、新幹線しか選択できない現実のなか、何となく士気もあがらず、つい
「安ければなんでもいい」
と発言したため、飛行機で渡道するはめに
「最前線の将兵に、のなゆうが来たよって顔を見せればいいんだ。」
基地を離陸前に軽く腹ごしらえ。
(本当は、万一のことを考えれば、あまり飲み食いしないほうが綺麗な身体で発見してもらえるのだろうが・・・・)
前線では、二種兵装は目立ち過ぎます!
第三種兵装に着替えてください!
途中、P-38にも会わず、無事に着陸。
(高いところ大嫌いだから、本当に気分はブーゲンビル行きに搭乗した気分)
息子のところを視察し、山本長官のかわりに「頑張っているか?」と激励しました。
時刻も夕方、函館といえば、ラッキーピエロだよね~
チャイニーズチキンバーガー!
嫁さん、トンカツオムライス
のなゆう、唐揚げオムライス!
北海道だからガラナもね
飯を食べたら早々に宿入り。
ちなみに安ければ、それなりな部屋の眺め。でも部屋の中は快適だし、函館山、函館駅、摩周丸を見られる露天風呂も最高級
嫁さんお疲れなのか、早々に寝たので息子と夜の街を暫し散策
といっても、まずは、すぐ近くの、やはりここ!
ちょっと父から息子に昔話
父ちゃん。お前の年の頃よりもう少し若い頃、
まだ国鉄の頃に北海道をひとり旅したんだ。
十勝三股、湧別、古丹別、遠軽、わからない地名だらけだろうが
新幹線はまだ盛岡止り。東北本線で青森に着いて、長いホームをダッシュして連絡船に乗った。
その時、摩周丸だったことは覚えている。
もう、今から30年以上前。青森~函館は3時間50分。
いまじゃ、四時間で東京から新函館に着くいきおいだな・・・・・
ただ、連絡船で渡道した時、函館の街の明かりに、ものすごい感動したぞ。
これが、北海道の入り口なんだって。
という訳で昔話のあとは、夜山も体験させました。
だいたい、中央で光る摩周丸!わかるかな。
ついでに、裏夜景も。こちらは初めて来たよ。
写真は参考程度に
ここで、息子を家に戻し、ソロで北海道の新玄関を見に行くことにしました。
しかし、函館から遠い!ホントに遠い!
なんといっても、元の渡島大野だしね
渡島大野! ちょっと見ない間に、すっかり立派に!
渡島大野だけど、函館駅弁があるそうで。
遠い訳だよねココは北斗市
函館市じゃないんだよ。
なんだかよくわかりませんが、立派です。
渡島大野に、みどりの窓口!
渡島大野、つひに電化!
しかし、誰もいない。
新幹線口。もう少し、賑わいがほしいなあ。玄関なら。
取り敢えず、北海道気分。まあ、頑張っていますよね。
気になった人は渡島大野で検索しよう!
お腹一杯堪能したので、北海道の正門へ
新玄関から、北海道の正門に
駅舎は建て替えで綺麗に
汚くても(笑)、なんだかぬくもりを感じた旧駅に比べるとやはり威厳が無い。
この石碑は移転したそうだ。
これは、移転したら意味がないのでは?
その程度なのか?コレは。0マイル記念碑なら、0マイルの地点になければならないのではないのか?
構内にも0kmポストがあるが・・・・・
キハ40が発車するので、入場券でホームへ。
なんだか、ようやく北海道に来たような気になった。
しかし、正門も閑散としている。駅蕎麦も無い。キハが発車すると、当たりは静けさがひときわ。
進駐軍の曰く付き0番ホームと旧1番2番ホームは撤去され、現1番2番ホームは、昔の3番4番ホームだったのかな。
かつての4番ホームは、だいたいハチマルの「おおぞら」「北斗」となりの3番がやや格落ち(失礼)の「北海」や「ニセコ」
さらにはとなりの1番2番ホームが「江差」なんかのローカル急行や、函館本線の普通客車列車たち。
23時すぎだからこんなもんなんだろうが、静かすぎて気味が悪い。
その昔は対東京・北海道の最速パターンの列車がガンガン道内各地から到着するころ。
1岸の2便と2岸には2便の15分前出航の1102便が待機してさらに連絡船待合所には函館からの乗船客がワサワサ待ち構えている時間だった。
連絡船、タグボートの汽笛、航送貨車の入替え、DDの汽笛、道内各地への優等列車・・・
駅は綺麗になっているが、どこか違う駅のようだった。
翌朝、宿の名物 大人気朝食! バンバン食べるぞ~
ちょっと取りすぎ。腹一杯大満足でした。
のなゆう陣地と、嫁さん陣地
嫁さんカツゲンにえらく感激やっぱりカツゲンは道産子ソウルフードなのかな(笑)
宿の近くを散策したり、ちょっと観光もした。
ココで3時間だけ、嫁さんと別行動。
先ずは、すぐに函館駅に戻り、
みかど食堂、日食構内食堂は無くなっていたので、あんまり馴染みがないが、ラーメンを食べた。あじさい というラーメン屋。もしや、あの味災グループ?
本当はこちらを食べたかった。連絡船でついて、接続列車に陣地を作ると安心の一杯だった。残念ながら、今はホームどころか みかど食堂がなくなったらしい。
本当は、コレが函館駅前にあったんだよ!
この錨は津軽丸のものではなく、予備錨という説も。早期に売却された津軽丸は北朝鮮に売却され、パナマ運河を越える目撃報告もあったが、どうやらスクラップに
こちらは、大雪丸。ホテルシップをやっていたが、あえなく廃業。スクラップ
そろそろ、説明しないと、コレがなんだかわからない方が多数なんだろうな
昔の桟橋待合所からの眺めに近い位置から
グリーン船室にあったサロン海峡の椅子だ!
デッキから眺める函館。30年前を想う
宿の方向を眺める。当時は倉庫ばっかりだったんだよね。いつのまにやら洒落た地区になっているが。
後部デッキのマスコット。摩周丸は摩周湖。ちゃんとカムイッシュの島も描いてある。
ちゃんと参拝しました。
見たことあるでしょコレ
青函航路にたどり着く前に、勝浦沖で座礁沈没。第九青函丸
洞爺丸台風で第十一青函丸と沈んだ進駐軍専用寝台車
実際、現役時には見たこと無い寝台席の飾り毛布
外国航路出身のボーイさんによる職人芸だったそうだ。私が寝台つかったときには、もはや廃止されていた。
船橋では、元の石狩丸船長が解説ボランティアやってました。
キャプテンの語りを暫し拝聴する。
船長の最後退船義務について、しばし語り合い。旧船員法による船長の最後退船義務について、近くて遠い国と旧同盟国で起きた事故では、船長が先に退船。なんと情けない船長なのかと酷くお嘆き。
青函航路では、出入港時以外はだいたい当直士官に任せて船長室にいることが多い。
ただ、任せて安心なのは、どちらかというと逐一報告を欠かさない士官が当直のほうが安心だったそうだ。、
悪天候でテケミ(天候険悪出航見合せ)を決める心境は船長でなければわからないだろうなあ。と。
だいたい大船は風で沈まない。大概の嵐なら乗りきれるが、万一の際の乗客を考えると、テケミ。ただ、このテケミで人生が狂う人も出ることを考えると、本当に悩ましい。
機器操作法、多重化された操縦系統。二度と洞爺丸の悲劇を繰り返さない誓いが、当時、海運界でも最高水準の船達を作り出し、終航まで、事故を起こすことなく過ごせた。
青函連絡船に新規導入された航海機器の多くは、海運界に拡がっていった。
船長の話は尽きなかったが、残念ながら時間。もっと話を伺いたかった。
リアル体験した方、特に士官、サロン職なんかの方は、御話を伺えるのもあと少しなのかもしれない。
グリーン指定席の船室の椅子もちょっと体験。
また、いつの日か来ます。潮の匂いを嗅ぎたくなったら。
さて、函館から嫁さんとの集合地点 五稜郭駅へ
キハ40。幾多の旅人を迎え入れた車内は、旅への誘いを。
五稜郭と言わず、どこまでも乗ってゆきたくなる。
すぐに五稜郭へ到着。後ろ髪をひかれ、禿になりそうなくらいだが、下車。
意外と五稜郭駅は忙しい。海峡線からの列車、函館本線からの列車、貨物はそれぞれ機関車交換を要する駅なので、一時間程度いたが、全然飽きない。
海峡線からの貨物到着
DF200機関車がコキ車1両咥えて連結
EH800がコキ車をもって引き上げ
札タ方面からの貨物に遅れが出たようで、北斗は出発抑止。上下線を塞いで札タからの貨物到着。出発が入ったので遅れ北斗発車。
EHがコキ車をもって連結
動画にまとめてみましたので、暇な方どうぞ。
あんまり鉄分がないが、そろそろ函館を離れる時間となった。
帰りの時刻はP38の待ち伏せを食らうといけないので打電しないように。
– · · · – – – – – · · · · – · – – · – – – – – – – – · · · · – – · · · · · – · · · – – · – – · · · · · – – – · – – – – – – – – – – – – – –
函館を離陸。途中けっこうガタガタ揺れたが、なんとか羽田に到着。
片道2時間をケチったために、あんまり函館にいった気分にならかったが、確かに函館には、いったのだろう。
みなさま、今晩は。のなゆう総裁です。
平成に終わりが見えつつある夏の終わり。
平成を生き抜く昭和青年には、
昭和エナジーが不足しはじめてきましたので、
これを補給する一日を計画いたしました。
今回は、N澤氏にも同行いただき、
大いに昭和を満喫する予定であります。
今日の旅の始まりはここから。
なんやかんや、209に揺られ続けるのが
キツくなってきましたからインチキしました。
まだ、明けやらぬ君津を発車しN澤氏が待つ高崎線へ。
東京駅からは東北本線から高崎線へ。
やがてN澤氏とも合流し、無事に部隊編制完結。
深谷で「群馬ワンデーパス」を購入。
グンマー帝國の入国パスを入手し高崎へ。
東京駅を模した深谷駅を見ていざ出発と思いきや
下り線には立て続けに通過列車。
三本を見送り、しばし深谷にて足止め。
ならばと、回りを見れば深谷の上野方には
古レールを組んだ上屋があり、シゲシゲ見ると
1887年 NTK日本鉄道(株)発注の
ウニオン社製と思われる古レール発見!
ちょっと嬉しい発見
高崎では水上ゆきが、待機中
車内は残念な更新車。
この座席上のゴツ過ぎる鉄棒と、デカ過ぎる枕。
設計の意図は何なんだと、小一時間問い詰めたい
残念至極だが21世紀、国鉄亡き後も堪能できることには感謝。
沿線には、一足先にお別れの107系の告知が。
165系のパーツが流用された、急行の忘れ形見。
ただし上信電鉄に再就職するらしく、三度目のお勤めになるそうだ。
水上では、ラチを出ることもなくすぐに折り返し(笑)
窓も開き、どっしりした揺れ、モーターの唸り、匂い、熱気。五感で味わう汽車旅。
高崎に帰ると、どうやら先程の列車に
手帳を落としたことに気づくも、
すでに列車は引き上げて車庫入り。
仕方なく遺失物捜索を依頼する。
すると、なんということでしょう、
ラチ外ではイベント中!
さっそく見学に向かう。
DD51大集合!
ただし千葉局民としては842号機は
高崎から返してもらいたいなあ。
マルタイ作業実演中!
第2会場では信通のみなさんや電力のみなさんが、「熱すぎる展示会」開催中
残念ながら写真データが消失。第一会場より、濃い熱い会場でした。
信通区の幹部と思われる方と
「タマ立ち事故」について熱く語り合えました。
卑猥な事故じゃないよ。念のため。
そうこうしている間に、手帳サルベージ。
ああ助かりました。
イベント会場で貨車車標などを買いつつ、
107系サンドイッチを購入。
横川ゆき211に乗るや否や、さっそく戴く。
パン、ハム、ニンジン、ホウレンソウで
107系を表しているが、わかるかな?
20年前のあの日も、此処に立っていた。
ロクサンの汽笛が山にこだまする最後の日。
山男の去った今の横川は、静かな山の麓の駅。
さっそく鉄道文化村へ!
うっすら滲む鉄錆が、長い旅路を物語る。
古くなったとはいえ、国鉄特急の矜持は今もなお耀きつづけ、国鉄原理主義教徒に問いかけ続ける。
この先に、熱いドラマがあった。
私は今でも、昨日のことのように思い出せる。
横川から高崎まで115に乗る。
高崎にもどると、先程の列車は
横川行きとなって再び横川へ発車する。
高崎にて115の横川ゆき発車を見送る。
何気ない発車シーンだが、何時まで見られるのだろうか。
さて、ここでもうひとつの旅の楽しみ
自動販売機、昭和レトロを堪能しよう!
やって来たのは、「鉄剣タロー」
レトロ自販機が現役で稼働中の自販機食堂?兼、ゲーセン(笑)
コイツらはまだまだヒヨッコの若造
500円? 札は使えないよ!
ハンバーガーとトーストサンド自販機
こんなのや
こんなのがアツアツで食べられる!
旨い!旨すぎる!
そして極めつけは
蕎麦うどん自販機!
稼働機は全国に数台というレアもの
一瞬で食らい尽くす!
旨い(略
他にも
こんなのや
こんなのまで
大人なら、ムフフな
(往年の)「アイドル麻雀」(笑)
お久しぶりっす!
そしてさらにカオスな空間
花を育てよう(笑)
カオスと思いきや
先程の天ぷらうどんの食い方指南も!
店主の優しさに涙する
ちょっとだけ、雰囲気のお裾分け
ニキシー管が泣かせる
みなさまお待ちかね
最後に、うどんが出る直前に
微かに「チーン」って聞こえる?
楽しい時間は、あっという間に過ぎ去り
帰る時間が迫る。
これ以上いると喪黒福造に「ドーン!」
を食らいそうなので帰る。
鴻巣駅まで送っていただき、帰路につく
懐かしアイテム発見!
もう少し多く見かけたタイプは、こんなやつ
最後に締めの「釜飯」を戴く。
昭和青年は昭和エナジーを満喫して
平成のオッサンとして頑張ります。
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
夏のイベントもひととおり終了しました。ご協力いただいた皆様、参加いただいた皆様、あらためて御礼申し上げます。
さて、なにやら、妙なところでマニアックな我が娘。前年度の深海魚展に飽きたらず、今年は上野の科学博物館にて開催中の「深海」展に連れて行けと。
科学知識を深めるには最高の国内随一の博物館。さぞ、深海の知識が深まるのであろうが、既に高校生なので一人で行けばよろしかろうと、言ったところ、ツレがほしいらしい。
こんなマニアックな博物館の展示では付き合う者もおらず、マニアック加減では引けを取らない父に白羽の矢が立つことになった。
ならばと、調べるとなんと!「マリモ」展も同時開催中!これは行かねばならぬ。何を隠そう私はマリモ好きでもあるのだ。
早速、出発!
我が家の近くには高速バスの停留所もあるが、宗教上の理由により鉄道。
浜金谷駅で下車。窓口に懐かしい顔があったので、挨拶!
窓口氏「今日はどちらへ?」
のな 「これから東京へ行くので船にのります」
窓口氏「それはまあ、えらい遠回りな」
のな「まあ、船は旅の気分も高揚しますゆえ」
窓口氏「お気をつけて・・・・」
まあ、窓口氏にとどまらず、こんなルートは酔狂極まりない。
まあ、狭い浜金谷の港でよく回頭するものだ。青函連絡船を思い出す。こちら東京湾は補助汽船タグボート無し。実に器用に回り出船に据え付けた。
船内で朝飯として、対岸の海軍カレーパンとペリーサイダー、焼そばで済ませる。船上飯は旨さ三割増!
バスでは、他人の飲食に露骨にイヤな顔をするヤツが多く、文化の違いとしか言いようがない。とても友好関係が構築できる気配がしない。
今日は「東京湾」としては台風の影響で波が高い。冬の津軽海峡からすれば「屁」のような波だ。
久里浜発の船とすれ違う。昔はデッキで手を振りあったりした。知り合いでもないが、何となく皆やっていたような記憶がある。
久里浜からは社線ではなく、省線にのる。
スカ線から東海道本線、東北本線へ。そしていともあっさり上野まで移動
上野駅構内には、最近いろいろ店がある。上野駅のみならず、至るところ構内店だらけ、まあ、商売に何かとアシカセのあった国鉄と違い、大いに商売すればよろしかろう。
ただし、鉄道の第一の商品はダイヤですよ。忘れること無かれ!
洋食屋でオムライス、ハンバークを食し、いよいよ科学博物館に向かう。
来客全てが深海マニアでもないのだろうが、入場券を購入し入場するまでに三十分を要した。台風の影響がなければ、凄まじいことになった所だろう。
深海とは人類最後のフロンティアだろう。未知なる点がまだまだ多く、研究の余地は大いにある。
ホウライエソ。既に異形なものたち。
いろいろな深海魚標本
下町工場で、作っているらしい。恐るべき技術力!
シロウリガイは南房総でも化石が地表でみることができたりするよ
東北大震災の震央の地質サンプル。海面下6000メートル以上の海底から、さらに800メートルの地点から採取された実物。
研究が進むことを切に願う!
海底エネルギーのひとつ、石炭! いまでも釧路で採炭が続けられている。
「地球がある限り燃え続ける大平洋の海底炭」
がキャッチコピーだった。覚えているかなあ。
深海生物の発光を応用した、「光る花」(右側)
海底調査船の内部。なんだかメカに囲まれる、ちょっと前の松本零士のマンガにありそうな空間。
これで、深海展はおしまい。お土産コーナーにはこんなのも(笑)
柱状節理とか、枕状溶岩とか、どんな菓子なんだろう(笑)
ダイオウイカやダイオウグソクムシとか(笑)
さて第二部「マリモ」展
素晴らしい!
私のバイブル的文献では別種のフトヒメマリモだったが、いまではマリモの同種(ありゃりゃ)
同じくカラフトマリモも、いまや同種
アイスランドのミーヴァトン湖にも、マリモがと聞いていたが、既に絶滅!
遺伝子研究により、マリモ日本起源説が主力らしい。
マリモ断面!これは貴重な展示
中沢博士の回転式培養装置(実物)
これは素晴らしい展示
かつて、某所で、ベッセマー転炉を見た際なみに感動かつ興奮した。
貴重な文献資料の中に、私のバイブル的マリモ本も!
この、本が出版されて30年
研究が更に進展したが、中沢博士は亡くなっていた。
「マリモの成長に比べれば、われわれ人間の一生はあまりに短い。」
マリモ発見者!
素晴らしいマリモ展を見学したあたりで、時間いっぱい。マリモの成長のみならず、われわれの一日もまた、短い。
ハチ公と、
まずは、秋田回りの津軽、東北本線経由、八甲田、能登、妙高、天の川、ばんだい、北陸、北星、新星、まだまだ書ききれない
いまじゃ上野も
寂しくなりましたね。
この、麦わら帽子のオッサン。デッサンが間違ってるところがありますが、知ってる?
このあと、娘がネコカフェーに行きたいとのたまうので、ネコカフェーに。
ネコの女給さんはいません。ネコだらけでした。
ただ、ガラス越しに上野駅が。いくら眺めてもギンギラしか来ません。
ギンギラしか来ないにゃん
盗っ人みたいなヤツが居たので
意外とオッサンがソロで来たり、外人ご一行が来たり繁盛してました
マニアックな一日でした。
オマケ
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
さて、今年も開催された、(日本国有)鉄道まつり。会場レポです。
まず、暑い。なにより、コレ見てやってください!
うそみたいだろ、午前中なんだぜ!
初日、前夜祭。夜行列車運転会
なんだか、よくわからないですが、プラレールコーナーです。とにかく楽しそうです(笑)
ひたすら、夜行列車
ラインナップはこんな感じ
いいですね~
N場氏の奮闘により、あさかぜ~北斗星(後藤さんですよ)奇しくも、ブルトレの胎動から終焉までを表せました。
ありがとうございます・・・
楽しいですね・・・
カッコいいですね後藤さん・・・・
そして、オッサンたちは、今宵の宿へ車庫入り
「明日から頑張ればいい・・・・・」
班長「キンキンに冷えた焼きとりと、ホッカホカのビール・・・・」
・・・
班長「失礼!キンキンに冷えたビールと。ホッカホカの焼きとり・・・」
こうして、オッサンどもの地下工場の夜は更けて行きました(笑)
さて、翌日。
翌日も御子様カオスな、プラレールコーナー(笑)
朝も早くからお疲れ様です。
交通博物館風、解説運転。
ちょっとうまく行かない場面も。反省しよう。
御子様に体験させる、のなゆう鉄道新線。
両側通路だったから御子様達から、二正面攻撃を受け、かなり疲労する。地面を動かされ無残に脱線も発生
ここで更換工事で夜業明けの「菜っ葉氏」が登場。早速「指導気動車運転士」として発令、着任してもらいました。
菜っ葉氏ありがとうございます!
その他の展示など。
盛夏服着用体験コーナー。今年は大きなお友達用にも対応しました。
一日の終りのプラレールコーナー(笑)
ついに鉄道公安官はフル装備(笑)
国鉄まつりの、御神体達(笑)
意外と大好評、ぬり絵コーナー(笑)
触らないで表示もガタガタになりながらも体験を続けました。
午後から、タテエチが登場!皆様にちょっぴりプレゼント!
お客さま大喜び!
またまた、本職の方に体験してもらいました。(笑)
今年の入場者数は
前夜祭150 二日目330で、480名
なんとまあ!
ご来場の方、ご協力いただいたみなさん。本当にありがとうございました。
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
そろそろお昼だね~。
食堂車では、皆様のお越しをお待ちしております(笑)
ばあちゃん。むかし、おおぞら号で食べたハンバーグ定食。美味しかったね・・・・
・゜・(つД`)・゜・
さて、もう少し国鉄の匂いを探して見よう。
おぉーーい!こっち!こっち!
久しぶりなんだから、挨拶くらいしなさいよね(笑)
華はなくても国鉄コーナーだぞ!
EF55のショータイムだよ!おいで、おいで!
EF55大回転(笑)
いいねぇ 笛の音。泣かされるねぇ・・・・
さて、もう少し頑張って国鉄を探して見よう。
秋葉原時代の記憶を呼び覚ます、模型軍団!
この展示は、邪教の刻印が制定された以降の展示だが、既に30年か・・・・・
このマークこそ剥がされていたが、国鉄自動車高速線崩れのオバQみたいな顔立ちのバスにJR北海道の時代でしたが、乗務したことがありました。
美しい日本と私
72系時代に、何となく乗車した記憶があります。
もう少し秋葉原時代の記憶を呼び覚ますものたち
久しぶりに腰掛けた。遠い記憶がどんどんよみがえってくる。絶妙なフィット感(笑)
懐かしさで涙出そうだ(笑)
オヤジの職場を思い出す。マルタイはこのイメージなんですよ。
気象警告板の使い方(笑)
もう、帰るの? もっとゆっくりしていきなさいよ(笑)
秋葉原時代なら、もう一人挨拶するのを忘れないでね(笑)
さっきから外で待ってる人が居るよ!
僕。モックアップだから、来てくれないんじゃないかと、思ってました。
だって、のなゆう総裁が秋葉原で遊んでた頃はもっと大きいモックアップだったから・・・・
サヨウナラ。また皆に会いにいくよ!
来年には、もっと大きくなるらしいです。
オマケ 大宮駅ラチ外でグッズ店を
かなりグラグラきたけどやめました。
こちらにもご挨拶
興味津々!新システム
さて、南房総(日本国有)鉄道まつりまで、あと少し。気合いいれるか!
皆様こんばんは。のなゆう総裁です。
さて大宮駅に到着しました。早速、鉄道博物館へ移動
先ずは、
やぁ! 久しぶり!
おや、今日は転車台から降りたんだ?
はいは~い。今日の主役です。後程ショータイムがありますよ。また後程。
今日は僕達に会いに来てくれたんだね!久しぶりだね。のなゆうさん。
なつかしや。感無量。
もう、ここに来てから何年間たったかな。のなゆう総裁も、オッサンになったもんだ。越後湯沢で会ったときは、まだ可愛かったのにね(笑)
お元気~?
上野小僧の頃からすると、すっかりオッサンになったもんだ。(笑)
ちょっとは、ゆっくりしていきなさいよ!
上野小僧の頃からちっとも変わってないんだから(笑)
んじゃとりあえず、ちょっと寄っていきますよ(笑)
あぁ。このケツから腰にくる、絶妙なフィット感(笑)
もう、新潟でも満足できないよ!もっと!
なら、もうちょっと別なコーナーも、挨拶していきなさいよ!待ってる人が居るよ!
はい。じゃ、移動ね。
ようこそ、のなゆう総裁! 歓迎するよ。
あら、のなゆう総裁。久しぶり(笑)
たまには寝て行くかい?52センチで。(笑)
ここは、いいよ~。一緒に寝るかい?空いてるよ(笑)
今じゃピクトグラムからも引退しちまったよ(笑)
模型パノラマも新装開店だから見でいきなよ!
あぁ。だから言わんこっちゃない。キハ58しか知ってるヤツ出て来ないじゃないか。舐めてんのか!あぁん!
まあそんなに、怒りなさんな。短気は損気。禿げるぞ(笑)。ちょっと待ってて。
やぁ!( *・ω・)ノ
僕達、今日は本当は休みだけど、もう一回線路際に寄って見てよ!
おおっ!
さっきは、挨拶無しでごめんね~
子どもが、多いからギンギラな奴らにちょっと舞台を譲ってやったら、連中、すっかり主役気取りだよ。困った連中だよ。ハア。
もうちょっとだけ、サービスしまっせ!
奥の方も、見てよ!
正面から、ギンギラと新幹線好きには、見えないように機関区もあるんだからね。ちゃんと見てよ!
模型室の外で待ってる方がいますよ。
今日は、ようこそいらっしゃい!
模型パノラマの後ろで、アプト鉄道やってたんだけど気がついたかな?
まだまだ国鉄を感じてくださいね。お昼からも、まだまだ見てよね!(つづく)
皆様こんばんは。のなゆう総裁です
夏は大嫌いな季節。何にもしなくても汗が出る、最近はどこでも冷房弱い、どうも寒がりの意見ばかり尊重されて不愉快この上ない季節、いかがお過ごしでしょうか?
もしかして、南方戦線で戦死したご先祖様が発するメッセージ?
こんなことでカッカしてもしょうがないですね。反省。
さて、急に休みがぽっかり出来たので「鉄分補給」しました。
スジ見でチョロチョロ進みます。
わがホームステーションを始発で出発。浜金谷駅から東京湾フェリーに乗り換えて、一気に久里浜上陸!
その前に
さて、品川からは省線で大宮駅へ向かうものの、ラーゲリからの緊急電報!
大宮操近くの新駅で下車してラーゲリに電話
のなゆう「大至急!ラーゲリを呼び出して!」
交換嬢 「長距離電は、しばらくお待ちください」
交換嬢 「はい。お繋ぎいたします」
のなゆう「もしも~し!緊急電を受電しました!何か事件発生しましたか!」
ラーゲリ「あ~いや、もう済んだ。悪かったね~ガチャン!ツ~ツ~ツ~」
ラーゲリ恐るべし
結局、次の電車は
回送
通過
通過
で、なかなか乗れない。
ホームにはセミがお亡くなりになっていました。
夏の終わり。もののあはれ。
そうして省線で、ひと駅
やっとこさで大宮駅に到着しました。
はあ。
みなさま、こんばんは。久しぶりの
のなゆう総裁です
さて、毎年恒例の君津市生涯学習センター主宰の
ミニ鉄道フェスティバルが開催されました。
実は最近まで、ミニ鉄道フェスティバルとは
小規模な鉄道まつり = ショボーイ
と勝手に想像してました。
ミニ鉄道はミニチュアの事ですよ
こんなこと思ってたのは、私以外にもいるでしょ? いないな。
それはさておき、早速今年もやってみよう!ミニ鉄道フェスティバル❗️
でも、のなゆう部屋は、なんだか隔離病棟みたいな部屋。
まあ、気にせずやってみよう。一部の国鉄原理主義者が参拝してくれるなら。
まずは、ラーメン食べて、気合を入れよう!でも汗だらけ!早くも気分ダウン
こうなれぱ、早期決戦による早期和平(笑)
一気に米海軍太平洋艦隊を壊滅させるしかありませんぞ!
まずは、陣地構築!
ほい。のなゆう鉄道新線設営完了!
次はグッズ展示!ボード出せ!足組め!
即刻、展示!、急げ!終わらんぞ!総裁早くしろ!
まだやるんですか?
内部はこんなもんだろう。
まだだ!まだ終わらんぞ!
ついてに、コレも貼っておけ
さて、そうこうしているうちに、さざなみ鉄道本線開通!
この巨大ジオラマも、あとわずか。今度は南房総鉄道まつりが最後の全力展開です。
さて、高校生軍団も含め各自陣地構築が終わったようなので大休止
ここで夕食後、のなゆうは一旦館山まで
回送マルヨ
みんなの昼飯を岩井で受け取り、娘が演奏会用の黒ローファーを忘れたそうなので、靴を渡しに木更津駅に向かい、演奏会に間に合わない娘を回収し、学校で下ろし、今日の決戦会場へ!
(バルチック艦隊回航みたいにかなり消耗したぞ)
元部長による、きみぴょん号がシテンするところでした
発車直後、車掌車から頭を出していた、きみぴょんはトンネル抗口に激突!
つ「車両限界」
プラレールコーナーは拡大して大人気スポット!
HOゲージ体験コーナーも大人気❗️
おや、あなた頭は大丈夫?変形しなかった?
キミエチも盛夏服で登場!みなさんお疲れ様でした!
公民館のスタッフの皆様!高校生もボランティアも、君津駅スタッフの皆様、さざなみ鉄道倶楽部のみなさまもお疲れ様でした!
みなさまこんばんは。のなゆう総裁です
平成29年の1月に 春まだ浅い房総路を走り抜けたD51を追ってみました
1月11日 館山まで回送されてきたD51は早速 電留線でお休みとの
親切なお友達からの一報を聞きつけ 早速撮影に! この日は一人で夜間撮影会!
12系のJRマークに目をつぶれば国鉄の頃のような一枚
翌日も仕事帰りに 一人撮影会 同業者の姿なし
公式側や
正面からは非常に撮影困難 まあ 撮影者の為・・・そんなことまで考えていられませんね。
1月13日からは火が入りました! あたりに薄っすら漂う石炭のキナ臭いにおい。
仕事帰りの アロマセラピー アロマでリラックス!((笑))
1月14日は試運転の日 館山~勝浦間を一往復運転 D51は館山方を向いて連結!
ならば、この写真の個所へ出かけたい。
この写真は和田浦駅に長らく掲げられていた 和田浦駅利用者なら忘れられないソウルフルな写真。昭和25年撮影。(旧駅舎解体の際のドサクサで行方不明になっていたのですが、私が、大多喜の古道具屋で偶然発見しました もちろん 即買い 500円(笑))
で、練習なぞ。
此奴にレンズ向けたのは初めてだな。サヨナラ運転でもやる時にはもう一枚くらい撮ってやっても・・・無いな。
此奴が通過した後から。あたりは雪に!
雪空に汽笛をこだまさせ、白煙をたなびかせながら近づいてくる鉄馬!
日本人の琴線に触れる一瞬!
昭和25年
昭和92年(笑)
この日は、九重駅へ先回りして、館山行きの通過を見送ります。
一本後の普通で追いかけて館山駅にて車庫入りの場面を
このあと、同行のN場氏とチクっと一杯やりに出かけました。
雪はこの後もやむことなく
寒いわけですよ これは
九重駅みたいな無人駅にも、バッチリ凍結防止剤が撒いてありました 関係者の皆様 ありがとうございます!
DLを先頭に勝浦行きが通過いたしました。
今度は、千倉駅へ
到着後、すぐに点検!
試運転列車の乗車招待券をいただきましたので、ちょっと乗車気分のおすそ分け動画を
あっという間に千倉~館山間の乗車体験は終了 大変ありがとうございました!
もう一度、試運転勝浦行きを撮影したり
DEの入替などを見学 これであとは本番運転ですが、あいにくお仕事もあります。もういい加減撮影したので、最終日はお見送りいたしました。
(嫁撮影 (笑))
フェイクニュースがはやっているようなので フェイクな機関士が現れたようです
一足先に、DE10が伴走車とD51を残して、帰りました。
1月23日 回送を翌日に控え、いよいよ館山を去るとのことですので、最後にもう一度、ご挨拶をしてきました。
もう一度、DE10がお迎えにきました。
もう、帰るってよ
主連棒やクランクなどが外され、回送準備はできております
おてもやん じゃない後部標識で サヨウナラ また南房総に遊びに来てね!
みなさま こんばんは のなゆう総裁です
さて、いつしか立春を過ぎて季節は春へ向かっています。さて会津若松ですがトランプ大統領のおかげでプチバブルが訪れたN場氏のおごりで、会津牛なぞいただいた翌日は、チョットだけ観光。
「トランプ大統領 ゴチになりま~す」「イヨッ! 大統領!」
雪は相変わらず微塵もなし。その代りに深い朝霧の会津若松駅
再び七日町駅へ
七日町駅のすぐそばに阿弥陀寺というお寺があります。戊辰戦争の戦死者1300名あまりが葬られたというところ。
会津鶴ヶ城にあった御三階とよばれる建物 城内での重要会議を行ったそうです
幕末の会津若松で繰り広げられた、新しい時代を迎えるための凄惨な歴史の一コマを見ました。
七日町駅へ戻ると、駅前に石碑がありました。なんでも請願駅だそうで、無人化した今でも駅舎を観光案内所とショップ、喫茶店ととにかく人の温かみのある駅にする というあたり、会津の人々の ならぬことはならぬのです という発露なのでしょうかね 素晴らしいです。
南部14年式拳銃とか、蔵にあるんですか?会津では?
もしかしたら三八式歩兵銃とか、九九式短機関銃とかもあるんじゃないですか?
さて、再び会津若松駅へもどります
会津若松に今なお残る美しい会津若松機関区の扇形機関庫 素晴らしい!
山都駅へ到着いたしました。ここから20分くらい歩いて有名撮影地へ!
一ノ戸川橋梁 にやってきました。美しい橋梁です。ボルチモアトラスの現存例は少ないので、橋梁マニア?にも人気なのだとか。 ここで場所取りを兼ねて一時間程度待ちます。
やがて
いいもんですね~ 手持ち&機材がヘタレなので 雰囲気を楽しんでください。
さて、撮影後は腹もへったので やっぱりここを無視して通るわけにもいかず
黄色い点字ブロックの反対側は 日中線 ホームの跡
なんだかしらないけど、妙に懐かしい。かつて訪問したことがあったような気分になったのは、御幼少の頃に読んだ 「きょうだいきかんしゃ たろうとじろう」という本のおかげかもしれない。
昭和40年初頭ころの どこかの国鉄支線の話なのだが、C11が活躍して、ローカル線で、混合列車で、という設定が私の中では 「日中線」 ではないのかなあと。
さて、ラチ外の街へ
やっぱりラーメンでしょう((笑))
奥 N澤氏 ラーメン 左 N場氏 チャーシューメン 右 のなゆう 大チャーシューメン
ノーマル(笑)なチャーシューメン
アブノーマルなチャーシューメン(笑)
さて、腹もくちくなったところで、喜多方駅へ戻り、ここで帰京を急ぐ両N氏を見送ろうとしたところ、会津若松方面へ戻る列車が出発した後。次の列車で、会津若松へ戻っても帰京時間は大して変わらず。 ならば・・・・
のなゆう 「こんどの新潟行き 2名空いてます?」
窓口氏 「ええ 空いてますよ」
ならばと、両N氏も目出度く?返しの クリスマストレインへ
後部の展望車では お子様たちのワンダーランド状態なのですが、しみじみと後ろを見ながら展望車を味わうことにいたしました。
途中では、やっぱり点検などもやりますので、撮影タイムも取れます
日も暮れて、夜行列車みたいな雰囲気に
やはりさすがは冬なので 蒸気がよい具合に撮影することができます。夏はこうはいかない。
往路と違って復路ではグリーン車展望車が機関車の次位につきます
お子様カオスな後部展望車とは打って変わったこの雰囲気
売店車には、こんなものも。 売れ残っていたので、みんなで食べちゃいました。
せんべいになっても、人気ないとは流石 不人気絶滅危惧種特急
楽しい時間はあっという間に終わり、新潟駅へ到着。
新潟からは田中角栄のレガシーにのって東京へ。往路と同じくやることないので、弁当なぞ。
(移動のため「だけ」に乗る乗り物って、実感できるのって凄いね 一般乗客の気持ちがよくわかりますよ。 一刻も早く目的地へつれて、降ろしてくれって)
まあ、いろいろとありましたが、会津若松一丁 N場氏 N澤氏 いかがでしたか?
そうそう
私はあたらなかったけど、車内じゃんけんで勝つと
こんなものも、もらえるらしい。
こんどは、鉄道模型の宿 やじさん でもいかがですかな?
会津若松一丁 おしまい。
さて、またまた間が開いてしまい申し訳ありません。列車は会津若松駅に到着いたしました。ここで会津鉄道に乗り換えて会津田島へ向かうことにいたします。
地元の皆様の歓迎 クリスマス合唱!素晴らしい歌声を披露していましたが、なにせ時間がない。実は会津線への乗り換えはあまり時間がなくこの中で、「ソースかつ弁当」を入手したかった!
ゆるキャラも集合
日下「カメさん! あれ! アイツだ!」
亀井「ちょっとよろしいですか? オコ次郎さん。あなた新潟駅でお見送りしてませんでしたか?」
オコ「・・・・・」
亀井「おかしいですね~ あなたクリスマストレインには、ご乗車になっていませんよね。」
日下「この列車を追い抜く列車はなかったのですがねえ 新潟にいたはずのオコ次郎さん」
オコ「知らねえな・・・ 人違いってヤツありませんか。 いま忙しいので・・・」
日下「カメさん まずは、この件を福島県警に連絡して、それとこの列車に乗ってみようか」
亀井「警部! 新潟県警から電送写真です!新潟駅での目撃写真が発見されました!」
日下「さあ、オコ次郎さん・・・ アリバイが崩れましたね・・・・」
オコ「クッ! ・・・・ 」
日下「オコ次郎さん ご同行いただけますか 詳しいお話しをお伺いしますが」
はいはい こんな番組ではありません。
結局、駅舎内の弁当売り場には ソースかつ弁当はありませんでした (´・ω・`)
なんとかして入手できないものか。ないといわれると余計に食べたい!
「ならぬことは ならぬのです」
会津線の お座敷 展望トロッコ 座トロ号
中はこんな感じ さあ発車します!
おお!そういえば途中で弁当積み込みができるような話があったぞ!
のなゆう 「途中で有名な牛乳屋食堂のソースかつ弁当が注文できるとか?」
アテンダント「できる列車は限定されます。当日ではできません」
「ならぬことは ならぬのです」
のなゆう「 (´・ω・`) 」
大人気だった「ばす駅長」は2016年4月22日の最終列車を発車させたあと死去されたので、「らぶ駅長」の勤務する芦ノ牧温泉駅へ。
良い感じのテコ小屋
今日は非番だそうで、らぶ駅長は駅長室にはいませんでした 会いたいな~
「ならぬことは ならぬのです」
のなゆう「 (´・ω・`) 」
でも いまでも ばす駅長は会津鉄道を見守っているようです。
先代のトロッコ列車 いまでは休憩室になっているようです
では先を急ぎましょう
でも、よい景色の個所では座トロ号は徐行します。
塔のへつり駅の前で徐行したので、白い岩が「塔のへつり」か?と思いましたが、全然違います。「塔のへつり」は列車からは見えないそうです。下車して観光しましょう。(今日はしません)
途中の茅葺屋根の湯野上温泉駅
駅の中には「いろり」 なんとなくこんな駅でボーッとしながら汽車を待つなんて、最高の贅沢な時間の使い方なのかもしれません。
途中、大川ダムにともなう線路付け替え区間などには長大トンネルがあるので、トロッコ車ではトンネル通過時に車内燈を消してこんなサービスも。ちょっと面白いね
座トロ号は最後尾にちょっとした展望スペースがあります。 流れ去る車窓
本当は国鉄に入って車掌さんになるのが憧れだったから、最後尾からの風景は、車掌気分でちょっと楽しい。
今回の座トロ号の終点 会津田島駅。 こんな山の中(失礼)には不似合いな大層ごりっぱな駅。ここまでは、浅草からの直通列車も来る。
ちょっと奥会津には不思議な感じもする浅草からの直通列車! まだ ばす駅長がいたころに一回、浅草から乗車してみたけど、なかなか面白い乗車体験でした。
さて会津田島にはさしたる用もないので、会津若松へと、もどります お宿の東横インで態勢を整えて、会津若松の一つとなり 七日町へ
現在、一部区間で不通になっている只見線。何回か乗車したが、最近では足が遠のいている。早く前線復旧した暁には、再訪せねばなるまい。 今日は一駅だけ乗ります。
こころ休まるボックスシート。青モケットならいうことなしなのだが
七日町駅で発見
米国カーネギーの古レール 1897?かな 日本の鉄道開業が1872で、初期なら双頭レールなので、平底レールとしては、かなり初期のレール
保線から入ったマニアックな人種なのでどうしても目が行く。
夜の七日町駅。 情緒あふれるよい駅舎
駅舎をでると、歴史ある会津の街と適度なハイカラさ加減がまた何とも言えない。よい雰囲気。
今日の夕食会場「塩川問屋」問屋という名前だけど料理屋です。
なんでも2.26事件にかかわる人物がいたこともあり、その部屋は「憂国の間」として現存するらしいです。見学希望は要問合せ。
のなゆう「見学できますか?」
店 「昼の間は公開することがありますが、夜は公開しません」
「ならぬことは ならぬのです」
のなゆう「 (´・ω・`) 」
この後、同行の2人と、夜の街へ繰り出し、チクっともう一杯。
N場氏は、夜の娘子軍との一戦に意欲を燃やしていましたが、朝早くから動き出している、のなゆうが眠くなるので、宿へ戻りました。
「ならぬことは ならぬのです」
N場氏「 (´・ω・`) 」
N場氏とN澤氏は宿で 西部警察 で盛り上がったようです。
夜中にミッドナイト大門
「全員撤退!」
ドカーーーーン
ショットガン「バシュ バシュ」
東横インに響き渡る 銃撃戦の音と爆発音!
会津若松の夜は更けてゆくのでした。
・・・・まだ続きます・・・・
皆様こんばんは のなゆう総裁です
さて、12月にはお約束の行事がいくつかありますね。日本人なら忘れてはいけない「赤穂浪士討ち入り」所謂「忠臣蔵」 12月8日の「日米開戦」
そんな大きな行事に負けないほどの鉄イベント 「磐越西線 SLクリスマストレイン」の雪中運転
12月なので、運転日などは冬の臨時列車のプレスになります。たぶん運転するであろう前提で、鉄道模型倶楽部の面々に打診したところ2名の同行者を得ることができました。
この列車にのって、以前お話しした、翁島の「ペンションやじさん」へ行ってみようかという行程。
まずは、1か月前の発売日に新潟→会津若松のSL列車のグリーン車を申し込んだところ、落選。第2案のハザで向かうことに。これはチョット残念。グリーン専用展望デッキで新潟駅長の出発監視に答礼するという、イベントができないという寂しい事態。しかし、この事態にも関わらずオッサンどもは新潟へ出発することになりました。
朝っぱらの東京駅へ到着
駅撮り しかもケツ打ちというまったくやる気のない写真から。とりあえず此奴に乗らなければ話が進まないので、乗ります。
今日の万カツ は「中吉」まずまずですな
越後湯沢で乗り換えます。ホームの温泉と石像 在来線181系「特急とき」、165系「急行佐渡」EF58+12系臨急「佐渡」で到着したころを思い出しました。
階下の1階席なので窓の外の眺めはこんな感じ。発車するとすぐにU字溝の中みたいな雰囲気。まあこんなもんでしょうね。ここは旅というより「輸送」ですから
新潟駅へ到着 すぐに在来線ホームへ急ごう!
おっ! キナ臭いこの香と、シューッ という蒸気の音。
いましたよ 今日の主役! 周りにはすでに人だかり。
マニア的視点から
生きている蒸機はやはりいいものです。C57の端正な罐と1750mmの大動輪が急客機としての雰囲気を今に伝えています。戦前機のスモールエンジンポリシーの結果のライトパシフィック機。実は後年になってラージエンジンのほうがという話が出てきましたが、これは、これで日本の国土によくあった設計だったのではと思います。
いま 新潟駅は高架化の真っ最中。今度来るときには無味乾燥な高架駅になっているのかなとも思うと、この何気ない雰囲気も貴重になるのかもしれない。
新潟地区の115系電車は高架完成よりは早く、国鉄の元へ二度と戻らない旅立ちを迎えるようです。変な色だが、酷使の跡、もうじき捨てるのだからどうでもいいだろうとでも言いたげな保守状態。
今回乗車が叶わなかった、展望グリーン車を未練たらしく見に行きます。EF81形式がお供に来ていたのですが、すでに下がったあと。
同行の方が新潟観光大使との記念写真でご満悦なところをいただきました。
この加工しても、なお隠し切れない「ご満悦」な雰囲気!
さて石炭(食料)と水(酒)も仕込んだので、発車を待ちます。
車内はこんな雰囲気です(クリスマス装飾が場末のスナックとかは言わない約束)
新潟を発車して、新津駅までは信越本線をかつての急客機の本気な走りを堪能します。結構な速度に乗ってくるのですが、今日はどことなくスジが寝ているのかなという感じでした。
新津駅で小休止したあとは磐越西線に入ります。
雪は残念ながらありませんが、いい感じに寒い日なので蒸気の白煙がたなびきます。冬の蒸機が大好きなのは、この煙の感じに他なりません。途中結構な勾配もありますので、給水や石炭のかき寄せ、火床整理などが何度か行われまます。
仕業標にメリークリスマス!
さてさて、沿線の見どころである山都駅を発車後にわたる一戸川橋梁。きょうも結構な人が見学に来ています。のなゆう総裁御乗用列車の通過ですよ
さてさて、列車は無事に会津若松駅に到着しました!
皆様こんばんは
さてさて、いつもの通り、だいぶ放置いたしました
今日は、11月12日に行われた自衛隊音楽まつり に行ってきましたので、そのお話から。
陸海空各自衛隊には音楽隊があります。もともと軍隊と吹奏楽はかなり切っても切れない仲でありまして。進軍ラッパや、外国からの賓客の奉迎から、いろいろな場面で楽器も使われております。
夏の総合火力演習ほどではありませんが、なかなかの人気。吹奏楽部経験者を中心に結構な人気です。今年も6倍程度だったとか。
なんとか入場券を入手できたので早速出発。
娘(29歳以下)を同伴させることにより、青少年と保護者1名という青少年券というカテゴリーで応募したところ、目出度く当選(青少年券の目的は青少年の自衛隊への理解と勧誘が目的なのでね)
さてさて 日本武道館へ到着!
入場券とパンフレットをもらいます。
陣地も構築して、開始を待ちます。 正面へ向かって右側へ陣地を作りましたが、この辺りはかつての私の担当楽器がよく見える場所
なんとなく、こっちのほうが落ち着きます。
もちろん正面に陣地を構築したほうがよく見えます。もしおでかけの 方、早めに会場へ入り、正面陣地を構築することをお勧めいたします。
整列して、開始です。
今回はアメ公 米海兵隊なども一緒にやります。奥側の白い帽子に赤い線の入った集団
インドからも参戦 これはインド人もビックリだ!
お約束の 「陸軍分列行進曲」
そういえば、モノクロ画像で有名な神宮外苑「学徒出陣」で答辞を読み上げた江橋慎四郎を見かけたことがあった なんてことをチョット思い出しました。
次の曲も 予約しちゃうぞ~(^^♪
さて、やっぱり 盛り上がる「軍艦行進曲」 会場もノリノリ(笑)
さてさて、盛り上がる会場つぎは 自衛隊の太鼓集団演奏
なんでも「自衛太鼓」というらしい。毎年、コンテストをやって、優秀なチームがここに来るらしい。(初耳)
200人?で演奏する太鼓 大きなヤツと人間を比較してみよう!
なんだかよくわからないが、ものすごい迫力でした
最後に ローマの松から アッピア街道の松 出演者一同でやりますよ (太鼓除く)
見せ場のトランペットだよ
これもまた ものすごい迫力になりました
大興奮のあっという間のコンサート
切符を手に入れるのは大変だけど、ぜひ 見に行ってください 感動しますよ!
終わったあとのお片付け 指揮者の赤い絨毯も撤収 お疲れ様でした(`・ω・´)ゞ
みなさまこんばんは のなゆう総裁です
台風はいかがでしたか、被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。
さてこの夏もいろいろありました。まとめて一気にご紹介いたします。
まずは恒例の君津鉄道フェスタでした
のなゆう鉄道新線も参戦し、のなゆう部屋をいただき(隔離病棟?)展開しました
今回は、九州を救え!という大命題を与えられましたので、のなゆう鉄道もチャリティ運転体験として、南阿蘇鉄道を救おう!というコーナーにしました。ただし、初乗り運賃は距離も短いし、のなゆう新線も簡易線みたいな出来なので、かつての国電初乗り運賃のように10円(こども)でやりました。
小澤提督率いる学生軍団の参戦奮闘の結果、案内掛として、のなゆう部屋に配属の青年も、
よく、その趣旨を理解し、乗客誘導にあたっていただきました。
結果、
鉄道とは金を失う道。でも今日の のなゆう鉄道は営業収益を上げることができました。しかも微力ながら社会貢献?もできました。
館山海上自衛隊航空隊基地一般開放にも行きました。って映っているのは陸さんでは?海軍カレーおいしゅうございました。
娘と嫁と一緒に、県立博物館での深海魚展も見に行きました。
(娘が見たいといったのですよ マニアックな女子高生だ・・・・)
そして、国際模型コンベンションへ 友人の作品を拝見にいくも
・・・・お察しください。 市中引き回しみたいな状況でした・・・
しかしながら、そのすぐ脇で繰り広げられるトークショー
新幹線開業初列車運転士の大石氏、仙台機関区ではくつるC61の罐を焚いた大山氏、名古屋機関区でC53で、戦前の東海道本線を疾駆した川端氏、糸崎機関区でセノハチ越えを体験した宇田氏の話を聞くことができ、大満足でした。こよなく蒸気機関車を愛する男たち、機関士というプライドをもった男たちの話は、近年日本人が忘れかけていた「恥」を思い出させてくれた。
列車を遅延させる、列車に衝動を与える、機関士や機関助士に心配や余計な労働をさせる、蒸気を無駄に使う・・・・これらは列車としては運転できてもプライドをもった男たちからすれば「恥」。15歳でC59の罐を焚くことなんかできやしない。でもそんな時、40歳や50歳の機関士は当たり前のようにシャベルを取って、罐を焚く。列車を遅延させない。連帯責任というより運命共同体、国鉄一家。特段なんの指示もなく、目的遂行のために協力している。自分も日々の生活を見直してみようと思った。
そして、南房総での鉄道まつり第2回目。
やってきました。前日の22時過ぎに、ようやく本線路4路線が開通、しかし会場装飾もその時点では6割程度、去年の反省を踏まえ、大きな会場にしたのは良いが、意外と作業がはかどらずというより、作業量自体がかなり増えてしまった。そろそろ限界に近い規模だ。
翌日、仲間たちも次々に参戦し、18:00の初列車運転に間に合った!
プラレールコーナーも開業
連絡船コーナー 連絡船一等航海士の服、天賞堂の摩周丸、ポスター わきの透明な存在感のないやつが、北海道新幹線開業記念品(いちおう展示)。
のなゆう総裁 資料館からの展示物 紙モノは今回見送りました。(これ以上は間に合わない)
国鉄路線図も掲示
国鉄制服軍団 今回は鉄道公安官も!
お子様用 エチの盛夏服も準備ヨシ!
なんやかんやご協力いただいた、元キサエチ 会場も暗くなり、夜行列車の発車時間 ゴールデンタイムへ!
尾久客も準備ヨシ! 手前から妙高、能登、津軽、八甲田、はまなす 上段ゆうづる、出羽
さあ、ステージの始まり
このほかにも、ニモレも登場!渋すぎる夕べ
終電後は お約束の一杯!
うまい、うますぎる! 犯罪的だ! ・・・・はい5000ペリカね
翌日は、解説運転はかつての交通博物館風に 朝、昼、夜
それぞれの時間帯にあった車両(もちろん国鉄)たちが駆け巡ります。
(わからない人は プラレールで遊んでてください。)
御幼少の砌より、何回もみたあのパノラマ運転を再現しようとしてみました。
面白かったかな。アレは観ていた人の年代で出てくる車両がまるで違います。私が、勧進帳で解説できる年代の車両しか出ませんよ 当然じゃないですか。 ギンギラやEなんちゃらなんか
「電車なんですかね・・・・みたいです」
「なんですか、コレ・・・ ちょっと私、困るんですけど!」
とか素で発言しますよ。
きっと(笑)
さらに、会場にタテエチがサプライズ登場! のなゆう新線を部下に体験させていました。
D52みたいに、ぶっとい胴回りの国鉄の妖精亡霊がなにやら、ささやいているようです。
まあ、皆様のおかげで、この夏もいろいろ楽しい思い出を作れました!
この場を借りて皆さまに感謝申し上げます。
君津の祭りにて、キミエチも迎えての終ごくろうさま会!の様子
(写真撮影協力 M吉殿)
???? あら?! のなさん? 随分と久しぶりじゃない?
のなゆう ??
???? こっち こっち どこみてんのよ!
のなゆう 485!?
485 言うまで気がつかないなんて、やっぱり相変わらずね
のなゆう 久しぶりなのに、随分なご挨拶だな。
のなゆう おっ! 旅行商品じゃないか 相変わらずの人気・・・!!!
485 気がついた?
のなゆう これは・・・
485 そう。見たとおり・・・ ついに私にも、この舞台が回ってきたのよ。
のなゆう この間、出場したときに国鉄色になったと聞いてはいたけど・・・
485 私たちが、この色に戻される時・・。 それは貴方たちが言う「死に装束」
のなゆう ついに、この日が・・・くる・・のか・・・・・
485 お会いしたならば、必ずこの日が来るの。例外などないの。
のなゆう ・・・・
485 青函のあの娘たちも、引退したし、九州の娘たちも、この間・・
北陸は・・・もう何年たつのかしら。
そうそう、あなたの管内の、あの娘も・・・もう長くないそうよ。
485 あの日から、あなたは急によそよそしくなった
485 そして、私の銀色のJNRマークが剥がされたあとは、カメラすら向けても
くれなかった。
485 私は、あの日からプライドもなにも、かなぐり捨てて、どんな仕事でも
やったの。 笑っちゃうでしょ・・
いちおう、東北のクイーンとも呼ばれたこともあった私が・・・
国鉄の特急として振舞えと、ずっと言い続けられた私が。
のなゆう あの時代、新しい鉄道というものもわからない中、みんな必死だったよ。
485 のなさんも、きっと新しい鉄道で一緒にやっていけると思ってたの。
485 そのうち、奇妙な衣装を着せられたりしたり、元の顔立ちもわからないほどに
整形された娘もいたり、自慢の長い姿も、どんどん短くされて・・・
485 それでも、私たち一族は架線のあるところ、九州から青森まで、一生懸命
お仕事したの。
新しい鉄道を夢見ながら、姿を消した仲間たちのためにも
のなゆう いろいろなところで、仲間には世話になったよ。倶利伽羅越えや、奥中山の
走りは、いまでも思い出すよ。
ほんの短い間だったけど、485の言う新しい鉄道の仲間にもなったんだよ
・・・でも、新しい鉄道ってこんなことなのか って思うことも多かった。
あのとき、新しい鉄道になるために、古い国鉄と一緒に消えた職員と、
新しい鉄道に行った職員が描いていた、新しい鉄道ってこんなのかと
思うと・・・
のなゆう でも食堂車が無くても、短い編成になっても、変な衣装になっても・・
やっぱり国鉄の特別急行の485だったよ。
のなゆう Eなんちゃら、なんていう奴等には決して負けてないよ!
いまでも、そう思ってる。国鉄特急の、いや特別急行の継承者としての・・・
485 のなさん。千マリの189は、のなさんと鉄道研究会の皆さんに見送って
もらって、幸せそうだったわよ。「いい最期を迎えられました」 だって・・・・
のなさんが大嫌いなEの娘たちは、私たちよりもっと大変なの。
世代交代は私たちの半分くらいで、現役引退なのよ。
あの娘たちはもっと短い人生になるの・・・・・
あの「白塗りお化け」とかいってた651も、「サル顔」とかいってた253も・・
それに、世界標準な股下サイズの方たちの活躍範囲は広がる一方だけど
青函も、北越急行も みんな、私たちお婆さんはお払い箱。世代交代ってヤツ・・
若い娘たちも、彼女たちなりに頑張っているのよ。もう少し、のなさんも・・・
Eの娘た・・・
485 ゴホッ ゴホッ
のなゆう どうした?! とつぜんに・・・・大丈夫か? 具合わるそうだな・・・
485 最近、MGやら電動送風機やら、いろいろ調子悪いみたい。
自分の体は自分が一番よくわかってるから・・・
のなゆう 583だって、まだまだ元気に走っているじゃないか
485 583の皆さんは、私たち485よりもっと辛い道だったはず。
昼も夜もぶっ通しでのお仕事は、とっても真似できるものじゃなかった。
それに、本来の職場を代わってからのお仕事は、私もまともに見れたもんじゃ
なかったわよ。新しい鉄道ってこんなことを言うのって・・・
のなゆう お互い、年をとったのかなぁ。 最近は昔の思い出話ばっかりだよ。
この間も、新しい鉄道の中の人たちと、一献傾けることもあったけど、もう
すぐに国鉄を知っている人たちも、現役からいなくなるんだよ って・・・
485 そう・・・ 私も、あとは583姉さんに頼んで、私ももうじきに・・・
のなゆう 大事な、大舞台があるんだろ、そろそろ休んだほうが・・・
ラストののステージは見に行ってもいいかい?
485 あら、やだ。ラストステージの衣装は、のなさんが私たちを見限った頃の姿よ。
とてもレンズを向けられる姿じゃない酷いもんだ! って言ってたのは誰?
・・・・それに、のなさん達の心の中では私達って12連やら13連の、
東北のクイーンと呼ばれた大看板の頃の記憶なんでしょ。
いまの姿なんか恥ずかしくて見せられやしないわよ。
のなゆう 美しかった、我らの女王陛下の記憶か・・・・
485 そう、のなさん。のなさん達のような、あの頃を懐かしんでくれるみんなの
中で、485はいつまでも素敵な、女王陛下の頃でいたいの。
のなゆう 雪の青森駅の「はつかり」と「白鳥」か・・・
485 だから、のなさん。せっかくのお申出ですが、お気持ちだけいただいて
お断りいたしますわ
のなゆう 女王陛下のたってのお願いとあらば、この、のなゆう絶対あらわれませぬ
485 フフフッ よろしい それに、大事なステージでコケちゃったら・・・・
恥ずかしいでしょ・・
のなゆう そりゃそうだ。なにせ 女王陛下も、ご高齢であらせられますからな!
485 このところ、よく思ったの。来年も桜がみられるのかしらって・・・・
来年の船岡の桜は、見られそうにもないわ。今年は75も走ったそうね。
のなゆう いつまでも、のなゆうが覚えているから大丈夫ですとも 陛下!
485 そうね。いつでも思い出して頂戴。できれば、若い子たちに昔、国鉄とか
特別な急行列車っていうのがあったんだよって教えてあげて・・・・
のなゆう ああ。そうするさ。 言われなくても、だめって言われてもそうする。
若い衆に煙たがられても、そうする。
のなゆう 三途の川の連絡船切符がもらえたら、食堂車とグリーンつきの13連で
迎えにきてくれるよな。
485 のなさん そんなに早くには迎えにはいけないからね フフッ・・
あなたは、まだまだこちらでの仕事がたくさんあるはず。
のなゆう それなら、指示あるま抑止しながら、まってるさ。いつまでもな・・・
じゃあな。 大事な舞台でコケるなよ!
485 (・・・また ・・・いつか ・・・・・ね)
のなゆうの酔っ払い妄想
写真はネット上のいろんなところから 拾いました
皆様こんばんは のなゆう総裁です
地元 房日新聞社に掲載していただきました 「阿呆列車は北へ行く」連載も無事終了したので、房日新聞が見られない、遠方の方に原稿形式でアップしておきます。
暇で暇でどうしようもない時、ちょっと読んでみてください。
きっと あなたの生活にはなにも足しにならないでしょう。
日本から夜行急行が消えた節目になってしまいました。
皆様こんばんは のなゆう総裁です
さて、前回ご報告申し上げた、
で在来線の青函界隈は体験終了と思いましたが、息子が4月から函館暮らしをすることになり、これは
「すわ一大事!急ぎ渡道のうえ、宿決めを行わねばなるまい」
と相成りました。
しかし、嫁も同行させ、これから予想され戦費捻出にも配慮すると、往復新幹線というわけにもいかず、さりとて、八甲田や十和田もなく、しからばということで、往路の東京~青森だけ夜行バスにしてみました。
ツバメの自動車線にしたのはせめてもの自分への言い訳。かつての自動車線勤務のころより、長距離自動車線は乗車体験もなく、東名のお下がりと言われた「オバQ」みたいな顔つきの車両には乗務したこともありますが、現在の動向はまったく不明。 まあ一回体験してみようと思いました。
というわけで早速東京駅へ
八重洲の食堂街で夜景を楽しみながら一杯。チョット洒落過ぎ!おりしもサンライズが発車してゆきました。
早速乗車。 中は独立3列シートです。
発車後に運転席、出入り口もカーテンが引かれ、四面すべてカーテン
ここで、ど素人に思わぬ仕打ち。 発車そうそうの案内。
「カーテンは開けないでください」
「あと10分で車内を消灯します」
ハァ? なんだそりゃ
いつぞやの新幹線の再来。用意した酒も10分で飲み切り、間髪を入れず消灯。本当に常夜灯だけの真っ暗状態。しかも中列なのでまったく外も見えない。
これではまるで囚護送車・・・・・・(略)
時速何キロだかわからない中で、自分のスマホでGPSのマップで現在地をなんとなく知る。もうこうなると寝るしかない。もとより乗客は早く寝てほしいのだろう。見渡しても人が活動している気配はない。
「こちらは日本です! 生きている人はいますか? 繰り返します。こちらは日本です!生きている人はいますか?」
なんかこんなようなセリフがあったことをおもいだして、無理やり寝ることにした。
夜が明けたようだが、だれもカーテンを開けることもなく、隙間からの白い光が雪国の朝を感じさせる。頻繁に停車するので、おそらく東北自動車道を降りたのだろう。相変わらずどこなのかよくわからない。カーテンは終点まで開かれることもなかった。
なんとか青森駅に到着した。青森駅の見慣れた駅舎をみると、ようやく青森駅へ到着したことを感じさせるが、はっきり言って、できる限り使いたくない。安かろう悪かろうの典型のようなものだ。あれならば、急行八甲田のボックスシートのほうがよほど快適だ。まあ貴重な体験であったと思う。
朝飯も食いたくなったので、立ち食いソバへ。
なんとなく、青森駅へ到着した気分が実感できました。
まちなか温泉へ行く前に 国鉄原理主義者ならご挨拶する八甲田丸へ
いつものごとく、拝聴する聖歌
このまま乗船して、津軽海峡を渡りたくなる。目の前の八甲田丸も往年の姿をよく保っている。係船ロープも微かに船の振動に合わせて動いている。出港の汽笛やタグボート、貨車積み込みの機関車の汽笛が聞こえてくれば、まったくあのころと変わらない。
485系の白鳥と北のスーパー白鳥が並んでいる。すぐに485は発車した。バスのあやふやな到着時間では危険過ぎるので、一本落とした接続にしたが、余裕があったのであちらにすればよかったかなと思うが、これは結果論に過ぎない。
さて、温泉で幾分の疲労回復をした後、再び青森駅へ。
千葉への送客ポスター ありがたいことだが、「さざなみ」では土休日しか来訪できません。
南房総市の花畑もたぶんあと5年ももたないだろうとおもいます。ものすごい高齢化で耕作放棄地だらけになりそうですから、お早めに。
この時間はヤツしか来ないのですが、仕方ないので乗ります。
函館へは、こちらへ進めばいいのですね。
日本三大鶏めしの一角を占める大舘駅の鶏めしを発見したので、今日の昼飯にすることにした。
再び青函隧道を通って、北海道入り。そして函館駅到着。
緑色と青の並びもあとわずか。できる限りこいつらに当たらないように乗ってきたので、実はほとんど乗車体験がない。
さて、函館の息子の宿も順調に決まり、今日の宿へ。 ラビスタ函館を奮発してみました。
http://www.hotespa.net/hotels/lahakodate/
(気になる方どうぞ)
中はこんな感じ。
部屋からの眺め。(安いプランだったから、こんなもんかも)
夕闇せまるラッキーピエロ 函館と言えば一度は訪れたい。
名物 チャイニーズチキンバーガー
嫁さんはオムライス。私は焼きカレー ちょっと食い過ぎ。
そして洒落た金森倉庫街をしばし散策。
まるで観光! 夜は最上階の温泉から、ライトアップされた青函連絡船摩周丸を
見ながら温泉! う~む贅沢なひと時。
そして翌朝。
朝食は大人気!それもそのはず。納得です。
あちらこちらに、ポスター。新時代がすぐそばまで。喜びもひとしおながら、消えゆく者への惜別の思いも、今回は特に感じる。いつもながら素直には喜べない。でも新時代はやってくる。
翌朝は市電に乗って函館駅へ。奥の見張り台のような市電の信号塔に注目すべし。
市電の分岐 こちらは背向だから発条転轍機 対向の動作状況はみていない。しくじった。
結構な乗車もある。なかなかよい雰囲気。
函館駅付近の青函連絡船 摩周丸を見学。かなり久しぶりにきた 以前はシーポートプラザとかいうものもあったようだが、付近には何もない。ここまで函館駅だったことは想像し難くなっている。
ありがたい JNR のマーク。以前は謎のマークに書き換えらえていたが国鉄原理主義活動の成果で目出度く JNR に復活した。
乗船風景と、出港銅鑼を実演している風景を嫁が撮影しました。
(銅鑼は叩いてみたけど、ボエーンというようななんだか間抜けな音がしました。コレちがうものじゃないのかな)
これは普通船室乗船口にあったレリーフ 懐かし過ぎる。
船の現在位置を示す電光板 もちろんGPSとかではなくて、3時間50分の基準時間で経過時間で位置表示が変わるだけのもの でも夜行便の1便なんかではありがたかった。
普通船室の椅子 同じ時代の80系の椅子によく似ている。
グリーン指定席の椅子。国鉄史上最豪華仕様と言ってもいい。フルリクライニング、レッグレスト、読書灯付き!。国鉄リクライニングシートは、リクライニング角度に応じて座面も連動して角度を変えて、スライドする非常に芸の細かい作り。
いまから50年以上前のものですよ。グランクラスとぬかしてガタガタ言っているどこぞの会社に見てほしい。 あなたの誇る最新の列車の椅子は、50年の技術進歩は、50年前の、この椅子に勝てますか。
操舵室
中央が舵輪
舵輪左側はスクリューの操作機、二本の棒が一定速度で回転し続けるスクリューのピッチを操作
船橋から各所への連絡電話。
一等、二等の標記が生まれの時代を語る。
船橋すぐ後ろの通信室。時計の赤い部分は、緊急信号SOSに備えて発信をやめて聴取に専念する時間
通信室の電鍵 左が縦打ち、右が横打ち。通信が、遅い、間違いが多いと
「ヘボカワレ」と打電されたとか
通信室の後ろにあった休憩椅子 青いモケットが目に染みる。
いつかNゲージで再現したいものです。
普通船室桟敷席 ゴロゴロしながら海峡を渡る。最高の船旅。旅情も満点だった。
さて帰りの時間が迫り、ホームに出ると キハ40がお見送りに。
ほんとにゴロゴロ キハ40!
帰りも不本意ながら 緑色のヤツ
隣の183系に乗りたい!
とりあえず、一枚とっておきました。 緑色のヤツとキハ183系
思いがけず、在来線の青函隧道をを体験できたことに感謝!
新青森に到着。
ダイ改と、白鳥への感謝。白鳥と言えば本来は、長年にわたり大阪~青森を走った伝説の大看板!
かつて1便では、疲れ切った関西訛りの集団が現れ、2便では1番線の「はつかり」2番線の「白鳥」とならんでいたのを今でも思い出す。
さて新幹線で夕食代わりの駅弁 車販さんから買いました。
ものすごい速さで東京駅に放り出され 最後の青函冬景色を堪能できました。
さて、青函新時代は、息子が一番先に体験することにとになるようです。
皆様こんばんは のなゆう総裁です
さていよいよ最終日。今日は自宅へ帰ります。でも不思議なのは、現在朝7時の札幌で、我が家まで日着できること! しかも、いまはかなり余裕。
キハ183が製造されたころは、まだまだ80が幅を利かせ、ローカル輸送は22、急行は56・27 そしてDD・EDが客車を引くという今から考えれば、なんとも楽しい時代。
そしていよいよ国鉄の終焉 昭和61年ダイヤ改正にあわせて新造された500番台のグループのなかでも白眉だった、ハイデッカーグリーン車に乗ることにしました。
100系新幹線と、24系25型の金帯車などと同時期の国鉄の最期の忘れ形見。「乗ることを楽しんでもらおう」という設計陣の意気込み、そして「最後の国鉄車」としての思いがこもった車両だったと思っています。
登場時は4列シートだったと思ったけど、いまは3列シートになっています。
豊平川橋梁を通過。一瞬だけテレビ塔が見えました。(大通り公園すら行かなかったな・・・)
さようなら 札幌 こんどはいつ来られるのだろうか?
函館本線が分岐してゆきます。いかにも北海道らしい分岐風景。
画面奥が厚別駅付近。20年以上前に、住んでいた街なので懐かしい気分で一杯。学生の折の一人暮らし。よい思い出も一杯あります。
開拓100年記念塔も見えます。住んでいたころより、新札幌付近の発展は著しいです。特急停車駅にもなりましたしね。
キロなので、オネイサンからコーヒー一杯サービスつき。ちょっとうれしい。
(オネイサンは車掌なのか車販なのか両方なのか? まあいいや)
(別に車掌なら、連続乗車券の経路変更して自動車線を挟んでみるとか依頼して、お手並み拝見というイヤラシイ魂胆ではありません)
千歳空港、苫小牧、東室蘭と快調に列車は進みます。やがて噴火湾のすぐそばを進みます。
ハイデッカーだから眺望も抜群! 快適そのもの!
一瞬すぎて写真もうまく取れなかったが小幌駅もしっかり確認できました。そして小幌駅の存続決定にまずは一安心ですが、まったく予断を許さない状況ですね。
森駅を過ぎると、道南きって景勝地 大沼公園と駒ヶ岳。
連絡船時代は、このあたりの景色で、内地からの観光客は最初に歓声をあげるポイントだった。
渡島大野駅は「新函館北斗駅」として新幹線駅に大抜擢されるが今日の北斗は全力で無視するように最高巡航速度のまま、全力速力のまま通過した。
五稜郭操車場の跡を見ると、連絡船経験者はどうしても函館マラソンにそなえ、旅支度を整える。もはや習性で、われながら今日はもう走らずとも良いのに・・・とちょっと苦笑する。
五稜郭をすぎると列車は多数のポイントを渡り、終着函館へ到着した。
いつもなら、ここで駅蕎麦を楽しんでいたが、駅蕎麦屋は閉店していた。この駅での乗降客の減少を先取りした形で、昨年閉店したらしい。北海道上陸の重要な儀式会場の一つであっただけに悔やまれる。イカ天蕎麦と、ネギ入れ放題がいまさらながら、もう一度味わいたかった。かつての列車食堂も担当した みかど食堂 新幹線にはあらわれるのだろうか。
非常に素晴らしいのりつぎなので、すぐに、青森行き白鳥号は発車した。
函館運転所には新函館北斗と函館駅の区間輸送用電車も並んでいた。ギンギラ過ぎて私の写真機が拒否しているようだった。
五稜郭工場の付近に長年留置(放置?)されているキハ56
五稜郭のヌシみたいになっているが、どうするのだろう。
さて、列車は江差線に入る。ちょっと腹も減るので弁当にした。
函館山も見える。この見え方は連絡船時代を思い出させる光景。新幹線ではこのようには見えないようだ。 連絡船時代から北海道上陸の目印であったが、たぶん今日が最後の景色。
木古内駅を過ぎるといよいよ海峡線。
非常に判り難いが、青函トンネル開業以来、青函トンネル進入の目印にしていた工場。結局何の工場だったのだろう。
青函トンネル進入。3線レールがすべて銀色に輝いて、いよいよ新時代が近いことを告げている。
吉岡海底をすぎ、中央部からは力行するMT54が唸る。485系国鉄特急電車の最期の定期仕業を、堪能する。
竜飛海底を過ぎてを本州側へ踊りでる。
津軽今別駅も全速力で通過する。
こんな津軽の果てに、かように立派な駅があるわけがない。狸と狐の待ち構える駅など全速力で立ち去ることが肝要である。
新幹線高架が分岐してゆく。こちらから見ることは、ないのだろう。
青森運転所では、今日の はまなす号が準備している。 同じ編成と3回会うことになった。
白鳥号は青森に到着した。列車はこのまま新青森へ向かうが、一旦下車することにした。
485系のお見送り。全国どこにでも、あたり前のようにいた485系、これが「本来の特別急行列車」としての晴れ姿の、お別れになるのだろう。
駅の食堂で食べたカレー牛乳ラーメン
もう一度、連絡船桟橋方面へ進み、突端部分まで来てみた。
現役時代ならまったく立ち入れない区域。
おりしも、民間航路の青函フェリーが函館へ出港していった。
一回は新幹線で北海道入りしてみようともおもうけど、今度は、乗船して『渡道』してみようかな。
やっぱり 上野駅から夜行列車に乗って、連絡船で渡道するのが国鉄原理主義者にとっての「北海道」なんですよね
新青森駅へ移動したら、こんなポスターが。
今度は、もう少し、青森もみてまわってもいいかなと思った。
どうでもいい、惰性でとった一枚。夜の東北を非常な高速で南へ輸送される。
東京駅へ放り出される。乗車してきた新幹線をみると、すでに「新青森」行きになっていた
まあ、いそがしいことで。 さて、私も家にかえりまするか。
後日、地元見返対策事業で2羽のインコを迎え入れた。
嫁「名前なんにする?」
の「ジェルジンスキー と エカテリーナ」
嫁「却下」
皆様こんばんは のなゆう総裁です
2429Dは帯広に到着しました。
そそくさと、せかされるように発車する おおぞら号を見送って、2429Dは再び、悠然と発車する。
車窓には十勝平野。
またなにか食ってる。北海道にきたら、この いしかり弁当 一回は食っておきたいのですよ。
やがて 池田駅に到着。
地北線の分岐駅であったが、三セクに転換後にあえなく廃止。いまでは広い構内だけが分岐駅であったこととを物語っている。
丘の上にはワイン城 ワインとステーキが楽しめる。下車して訪問したい衝動を抑えつつ、先に進む。
十勝平野に日が沈む。しかし、まだ2429Dの旅は続く。
十弗駅。10$じゃありませんよ。
夕闇せまる常豊信号場に停車。もちろんドアは開かない。
無人信号場なので誰もいない。 昔の仮乗降場みたいな簡単なホーム
対向する列車側には進行信号が現示されて準備万端。やがて轟音とともに列車交換が無事終了した。
すっかり日も暮れて 尺別駅に到着。 ふたたび列車交換のため大休止
大休止となれば、乗客の皆様は俄然忙しくなる。信者の修行の時間になるからである。
跨線橋をわたり、列車を撮影!
駅舎も撮影! 三脚もないので手持ちで撮影したのでブレはご容赦! 写真からもわかると思いますが、駅の周りは、ほぼ無人地帯。かつての雄別炭鉱線の分岐駅だったことなどいまではさっぱりわかりません。
だれもいないホームにキハのアイドリング音だけが響く。当然乗降客などいない。
まったく人気のない信号場のような古瀬駅などにも丹念に停車
無人地帯のような人気のない闇をひたすら2429Dは走る。
やがて白糠駅に到着
いまは、あんまり見かけない、照明つき鳥居型の駅名標。駅名標の照明が無くなっていることがおおいのですが、本当は白熱灯で照明された鳥居型の駅名標が、夜にはいい雰囲気なんですけどねぇ
右側の線路は白糠線があったころは、その発着ホームでした。
白糠駅までくると、終点の釧路へはあと40分程度。一日中乗っていたけど、まったく疲れません。青いモケットと腰当のついたボックスシートは現代のプレハブ汚物209の椅子などより、よっぽど快適。
最後の大休止の駅なので、ここで銀河鉄道なら、メーテルに終点の駅まで本当に行くのかと、覚悟を問いただされる場面か?
「のなゆう・・・この白糠が札幌へ引き返すチャンスよ。ここから先は引き返せない旅・・・」
「メーテル 僕は乗車証明書がタダで貰える駅まで、なんとしても行きたいんだ」
「そう・・・のなゆう ネジg ゲホゲホ どうしても乗車証明書がほしいのね。」
白糠をでると、やがて新富士、大楽毛と、いよいよ釧路です。
いがいとあっけなく、釧路駅へ到着。
今日一日、世話になったボックスシートを窓の外から見る。 もっと乗っていたいと思わせる久々の「汽車旅」そして、周遊券で北海道を駆け巡った国鉄の頃を思い出した。
さっそく、サボが架け替えられ、「新得行き」になった。「終着駅は始発駅」である。
さて、いつまでもゆっくりしているわけにもいかない。ここからは家に帰る旅になる。
この、とってつけたように塞いだ先には雄別鉄道の6番線乗り場があった。
年々、雄別鉄道もよくわからないらない世代が増えているし、正直、私も現役時代は知らないし、雄別鉄道の痕跡もだんだん薄らいでいる。
ネット上の拾い物写真から、釧路駅のラチ外の蕎麦屋に保存されているらしい。
ラチで改札掛氏に証明書を依頼するとあっさりと、交付された。
さてラチ上の発車案内をみるとすでに おおぞら号の改札案内が出ている。今日はこれに乗って札幌まで帰ることにした。 もう一時間もない。
コンコースにせっちされた まりも
養殖まりも 聞くところによれば、なんでも、付近の湖のシオグサをもってきて、オバサンたちが一生懸命丸めたものが、養殖まりもとしてお土産になるらしい。
夜行急行「まりも」絶滅してしまいましたが・・・・・・
釧路鉄道管理局庁舎と兼ねた釧路駅。
お約束の写真を撮って、釧路気分を満喫??したので、おおぞらへ乗車しよう。
国鉄書体の くしろ 駅表記 スタイルだが、駅ナンバーが時代の移り変わりを容赦なく表現している。
さて、こんどの おおぞら12号には車内販売がないらしい。経営基盤の弱いJR北海道は北海道新幹線に経営資源を吸い取られている。食堂車も車内販売もない餌無し特急は魅力的なのだろうか。動脈のほうばかり傾注していると末端から壊死してしまうのではないだろうか。
釧路の夜は おおぞら号の中での駅弁とビールで代替することにした。キハ80の時代ならば食堂車なのだろうが。
2429Dとは比較にならない速度で、札幌を目指す。一杯やったら早速寝てしまった。千歳付近で「はまなす」とすれ違った。昨日乗車した編成である。
なにごともなく、札幌に到着。駅近くのホテルに投宿した。23時を過ぎ、さすがにネオンの瞬きには反応しなかった。明日も早い。さっさと寝ることにした。
みなさまこんばんは のなゆう総裁です
さて滝川を発車した2429Dは、函館本線に別れを告げると、空知川に沿ってかつての産炭地、赤平、芦別を過ぎてゆく。
さっそく列車交換でタラコのキハ40とすれ違う。(いいなぁ あっちの列車のほうがいいなぁ)
かつての石炭積み出し駅なので構内がやたらに広い。しかしほとんど現在では使われていない。
三井芦別鉄道や三菱芦別専用線、住友赤平炭鉱専用線、昔まだ赤平の炭鉱の赤いネオンが闇に光っていたことや、町がなんとなく石炭のキナ臭い匂いに満ち溢れていたころの記憶がある。あれからもう30年以上経過してヤマは無くなった。
カナディアンワールドや、北の都芦別などのテーマパークも相次いで破綻し、産炭地の横綱であった夕張市は財政再建団体に転落した。ヤマと黒ダイヤを失った街は今後どうなるのだろう。
しばらく走ると、富良野に到着ここで増結をするので少々停車。
お約束の連結作業の記録!
増結車両も、タラコではないので、あえて席を移ることなく、そのまま1号車のキハの同じボックスに陣取りつづける。
ちょっとだけ観光気分になりました。
構内にはレッドベア(赤い熊!なんて恐ろしいあだ名。露助の回し者か!)
そういえばラチの外にすらいかなかったな。中国人らしき数人は下車した。
気を取り直して、2429Dは相方と2両になって発車した。
「北の国から」でよく出た将軍様 「駅」と当時の北海道の国鉄!
布部駅
雪晴れの素晴らしい景色のなか、キハは淡々と歩みを進める。
滝里駅も北の国からでは出演していたが、いまではダムの下になっている。列車は長大な滝里トンネルを抜け幾寅駅に着いた。
映画「鉄道員」で高倉健演じる駅長の勤務駅「幌舞駅」として出演した駅で、同じく出演を果たしたキハ40とともに観光客を迎えているが、今日の2429Dからはだれも下車しなかった。高倉健の駅長も、あの世で落胆したであろうか。いや、乗降客がいないくらいで落胆するような駅長ではない。きっと誰一人乗降しなくてもホームの雪かきをして、直立不動で列車の尾灯がみえなくなるまで発車後の監視をしているはずだ。きょうもビシッと雪かきされたホームを見ると駅の本屋からいまにも通標をもって現れそうである。
タラコのキハにさようならをして2429Dは発車した。
やがて列車は落合駅に到着した。ここで列車交換のため大休止!20分停車
撮影に余念のない乗客(信者の修行とも言う)
好ましい姿の落合駅。
さて、交換列車が到着すると、いよいよ十勝の国への狩勝峠だ。新狩勝トンネルに進入すると、右から石勝線が合流する。上落合信号場のガクンと合流する瞬間を体感するため、闇のトンネルの中で一人でゾクゾクしながらその瞬間を待つ。
やがてお約束の衝撃があり、無事に石勝線を合流させて列車は新狩勝トンネルを抜け出た。ここからは石狩国から十勝国へと列車は歩みを進める。かつての旧線区間には及ばないらしいが、素晴らしい十勝平野を一望する、大変眺めの良い区間だ。
列車は徐々に高度をさげ、新得駅に到着した。
新得は「鉄道の街」 駅はもちろん、保線区、機関区なども擁した峠の前線基地でもあった。そして国鉄のみならず、十勝鉄道などの乗換駅でもあった。
当然、このような駅には
駅そばがあるので、さっそく食する。 いつもながら大変美味である。 乗客の多いわけでもないような駅のそばで生き残っている駅そばは、美味なことが多い。首都圏の 味災 某社のまるで蕎麦風味うどんとは大違いだ。
新得駅でキハ40タラコを発見した。乗車できないタラコをこれだけ見ると、さすがに、ここまでくるとなんらかの悪意を感じるのは私だけではないと思う。
再び走り出す我が2429D。帯広に到着した。ここで後続の特別急行に道を譲る。
「いそいで行きたい方はどうぞ、快適な特別急行をご利用ください」と言わんばかりなので、余計にうらやましくも、ありがたくもなんともない。
新幹線やら、特別急行を見ると、急ぐのは、「急いで行く」ではなく「生き急ぐ」なのではないかとおもえるようなことすらある。
「社畜と、その輸送車」ではないかと思うことすらある。
みなさまこんばんは のなゆう総裁です。
さて、はまなす号を降り立った札幌駅で、
「万感の思いを込めて汽笛が鳴る。さらば はまなす号・・・・」と余韻に浸っていると
どこからともなく
「・・・のなゆう ・・・・ 乗りなさい」
「ワタシハ ・・・ 乗りなさい」
ん ・・・・ んんんん?
「私は メーテル・・・ のなゆう・・・・ 2429Dに乗りなさい」
これは!
鉄子のハシリと言われる、「列車の揺れがいつもと違う」とか、瞬時に「あんな星は路線図にもないわ」とか数々の発言から鉄疑惑を残しているメーテル様からの指令か?
ということがあるわけもなく
日本最長運転時間の滝川発釧路行き普通列車 第2429Dに乗車するため、再び旅が始まります。
普通列車で再び北上を開始 広大な岩見沢操車場の跡地を眺めつつ、まずは岩見沢。 ここには大変風情のある駅舎があったが近年、火災で焼失したために再建された。
しかしながら、やっぱり無味乾燥なギンギラ電車の似合う駅舎になってしまったが、駅には微かに蒸気の煙を体験したような遺物が残っていた。
岩見沢一区、岩機 一区どころか二区もすでにない。北の自動車線で臨時雇用員車掌の折、岩操の構内掛だった自動車線運転士と乗務したことがあった。岩操が大活躍だったころ。D51とセキがひしめきあっていたころ、夜も昼も夏も冬もぶっとしでセキ車を組み替え、D51を誘導したころの話を聞いたことを思い出した。
「おまえ 乗務カバンにフライ旗とカンテラ持ってるだろう。今日はそれで誘導してくれや。お前、旗振れるんだろ?」
その日のバスは私のフライ旗で誘導した。
「やっぱり笛と手振りで誘導するよりこっちのほうだよ。懐かしかったぜ」
と一応の合格をもらえた。
私の自動車線でのインチキ車掌体験も、もう20年以上前の話になる。
激動の国鉄改革の影響だったのか、いろいろな職種の人が自動車線に転属したようだった。青函連絡船操舵掛、保線区員、構内掛、苗穂工場、検修員・・・
その後に直営自動車線から、さらに子会社になったので、彼らは元のレールの職場へ帰ることなく、自動車線のハンドルを握ることになった。彼らはいまどうしているのだろう。
そうこうしている間に、列車は終点の滝川駅についた。ここからいよいよ2429Dへの乗車が始まる。
メガロポリスステーションではなく滝川駅
721系を降りるとさっそく、我が2429Dの案内があるが、長丁場の乗車に備えるため、一旦改札を出る。
滝川駅から2429Dの旅が始まるが、車中飲食物を物色しなければならない。駅構内は飲み物自販機のみ。キヨスクは改装工事中のため休業中!駅付近は閉店したような、やっているのかいないのかさっぱりわからない店?ばかり。かなり歩いて国道方面まで進出してコンビニを発見し、飲食物入手した。
乗車改札がはじまり、我らの乗車列車がやってくる。
今日一日、お世話になる車両 キハ40 1741
ボックス席に1~2名程度の乗車。みたところ同業者っぽい乗客がほとんど。あとは状況がよくわかっていない中国と思われる乗客数人。
「ねえ メーテル 中もワンマン改造以外、ほとんど国鉄のまんまだけど、なんでこんな車両なの?」
「それはね のなゆう JR北海道にカネgゲホゲホ・・長距離を旅する鉄道を愛する人の中でも、国鉄じゃないとダメな人のためには、大昔の心休まる車両じゃないとダメなの」
「ふ~~ん」
「のなゆう よく見ておくのよ 2429Dの発車よ」
「次は~東滝川~ 東滝川でございます。」
もちろん メーテルも鉄郎も車掌さんもいません。終点はアンドロメダではありません。
終点の釧路で機械の体はくれないそうですが、乗車証明書はタダでもらえるそうです。
ワンマン列車釧路行き、のなゆう一人旅です。さあ発車しますよ!
みなさまこんばんは のなゆう総裁です。さていよいよ札幌が近くなってきました。
新札幌駅の手前、北広島あたりで目が覚めた。この辺りは、変わったとはいえ、のなゆう総裁曾遊の地である。なんとなく薄暗い中でも現在位置を把握したが、そうであるならば、終点の札幌はもうすぐである。
朝の身支度と、下車準備を行っていると終着案内放送が始まった。豊平川橋梁を通過すると川越しに札幌テレビ塔が一瞬見える。もう終着札幌はすぐ近くである。進行右手の苗穂工場を見るといよいよ高架の札幌駅へ進入する。
多数のポイントを渡り、ゆっくりと3番ホームに進入する。ほとんど衝動もなく終着札幌駅へ到着した。私の寝台車の乗車体験も同様に終着へ到着した。
まだ明けきらない北の都も、さすがに200万都市なので、この時間でも活動している人が多い。はまなす号の乗客もそれぞれの目的地へと散っていった。
一晩中、巡回やらドア扱いやらで徹夜乗務明けの車掌さんも、「ほっと一息」お疲れ様でした
寝台列車のカレチさん。赤い腕章は鉄道少年たちの憧れ。
小窓を開けてドア閉扉!「側燈 滅!」
「こちら201列車車掌 201列車機関士どうぞ!」「201列車発車!」
見送るホームの助役に敬礼
一度この車掌室から放送してみたかったな。「本日もご乗車ありがとうございます。~~~」
現代にのこる 「日本国有鉄道 大船工場 昭和62年改造」 国鉄も、大船工場も、昭和もみんな遠くに行っちゃった。
私の寝台区画。ホームから撮影してみました。
引き上げる 急行はまなす DD51も客車も長い旅路だったけど、もうすぐ本当の終点がちかくなってきました。
手稲方向へ引き上げ。列車のお見送りって感傷的になりますね。
急行はまなす号は私たちの目の前から去っていきます。
銀河鉄道999なら、C62の汽笛と客車から見送るメーテルで、感動するところですが、
でもまだ、もう少し総裁の旅は続くのだ!
もうすこしお付き合いのほど。
みなさまこんばんは のなゆう総裁です。
さて、いよいよ北海道上陸した はまなす号 は函館駅に到着しました。
まずは、かつての青函連絡船方向へ走る。函館マラソンと呼ばれた長いホームを連絡船桟橋方向へ走る。久しぶりに走ったのですぐに息が上がる。
昔は函館マラソンに負けると、おおぞら でデッキ難民になるので必死に走った。
今日はED79にお別れの挨拶をするために走る。
すでに前照灯から尾灯になってしまったが、切り離し作業なども記録する。
切り離し完了
青函トンネル開業に合わせ改造して、当時は青函連絡船で航送された記事を読んだ記憶がある。
さて、EDにお別れしたあとは五稜郭方へまた走る。深夜の函館駅を函館マラソンの再来だ!今日は12両分を走らなければならない。伝説のおおぞら13両編成に匹敵する長さだ!
すでに薄暗いホーム先端に多数の見学者が集まっている。
五稜郭方からDD51が下がってくる。
昔、連絡船が現役だったころ、運転関係職員が非常に多い駅だったので、駅のホーム放送も「組成据付下がります」とか、桟橋からホームに降りるところにある列車編成案内も「本日の組成」として表示されていたくらいの駅だったが、毎日機関車交換を行うのは はまなす のみになってしまった。
無線ではなく、合図燈カンテラで行うのも今や貴重だ!
さて、無事に「組成」も完了し儀式も終了したので、私の宿へ戻ろう。
函館では結構な数の乗降客があった。昨日の延長の人なのか、一日が始まっている人なのかはわからない。私の下段の方は現れなかった。この先、長万部や東室蘭、苫小牧、千歳で現れる可能性はまずないので下段寝台を拝借して、最後の寝台車の夜に乾杯することにした。
定刻に函館駅を発車した。
これが、私の寝台車における最期の夜 一献傾けよう。窓の外は徐々に高度が上がり、函館の夜景を堪能できる区間がある。鉄の函館夜景ポイントだ。大沼付近を通過した後は漆黒の闇。
これが、最後の夜の一杯。いつもより濃い目でいただこう。昭和62年に国鉄が亡くなって29年になろうとしている。月日の経過の速さには愕然とする。青函連絡船が無くなったのは翌年、航路閉鎖直前の連絡船も乗船する際に乗船したのは「摩周丸」があたった。その後「一本列島」というポスターもあったが、「すでに分割されてバラバラになった国鉄無き日本のどこが繋がっているんだ」と素直に受け入れられない昭和63年だった。
思えば、青函トンネルとともに歩んできた 急行はまなす もう30年近いベテランになっていたのだ。北斗星の影に隠れて札幌対東北という脚光を浴びることもない寡黙な輸送に徹してきたが、「最後の寝台車連結、客車夜行急行」と俄かに4冠5冠の大スターに躍り出た。
私も人生の折り返しを過ぎているので、しばらくしたら石炭と油と鉄の匂いに満ちた国鉄のもとへ旅立つ時も来るのだろう。
そろそろ酔いが回ってきたようだ。最後の一夜、寝台車で寝るためにベッドメイクをして浴衣に着替えよう。鉄人生最後の寝台づくりは、あまりうまくできなかった。
窓の外が一瞬明るくなった 森駅を通過したようだ。私も寝ることにしよう
深夜の寝台車 乗車気分のおすそ分け。 よい夢を!
皆様こんばんは のなゆう総裁です
さて、発車した 急行はまなす 本州の北辺をひた走ります。
もう だいぶ忘れた 太宰の津軽の一節に「ここは本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。‥‥」とあったのをおぼろげながら思い出す。
ちょっと腹減ったので、駅弁を食べてみる。本来ならば当然ここで一杯なのだろうが、青函トンネルも前であるし自粛する。ああやんぬるかな。
車掌氏による検札も終了すると車内は減光。先ほどの動作ランプはこのようになります
冷房動作時の青いランプが大好きだったのですよ。
下段の乗客がこないので、下段を拝借していると、梯子とテーブルに付いた懐かし過ぎる表記を発見。
ビンビールでも持って来ればよかったかな。でも一人宴会は寂しいね。津軽今別を一瞬で通過して、海峡線をひた走る。
23時過ぎ、一段と高らかなED79の汽笛が青函隧道への進入を告げる。ひときわ立派なトンネルの坑門が青函隧道への進入を知らせる。
さあ。青函隧道への進入ですよ。
一瞬で窓が曇り、高湿度の青函隧道の進入を体感する。ここからは延々下り勾配。軽くブレーキをあてながら下りこむ。いまでもかつての竜飛海底駅跡は、煌々と電灯がともり、やがて軽い衝撃とともに海峡中央部を通過したため、先頭のED79が加速を始めた衝撃が微かに伝わる。
ここからは上り連続勾配。客車は軽いのでED単機でも十分牽引できるため、さほどモーター音はしない。でも、明らかに先ほどと違う上り勾配にかかる。
やがて、吉岡海底駅跡を通過し、いよいよ北海道へのラストスパートの上り勾配にかかる。ED79が一際高く嘶くと北海道へと躍り出た。
いつも北海道への上陸の際に目印にしていた工場も見えた。結局、何の工場だったのだろう。20年以上、目印にしていたが、今度しみじみ見てみたいとも思う。
木古内駅を過ぎると江差線に入る。重軌道化しても、やはり低規格な江差線なので、急曲線が連続し私の乗車列車の最後部がカーブにかかるたびに見える。12両の客車の最後部が見えるということは相当な急曲線。かつて夜行列車の機関士が後部反顧の際、牽引列車の客車の灯りに「あの窓の一つ一つに眠りこけている命を俺のハンドルで預かっている」と気を引き締めたそうだが、この光景を見たら、機関士の面目躍如。男冥利に尽きる一瞬なのだろう。
列車は、町の灯をバックに浮かび上がる函館山を見ながら、セメント工場の灯りが眩しい上磯をすぎ、五稜郭で函館本線に入ると、函館駅に進入した。
夜行列車の重要な儀式
の儀式会場に到着する。もとより、青函連絡船経験世代は五稜郭を過ぎると、函館マラソンに備えドキドキしてくるのは、いまだに治らない。
五稜郭を過ぎ、多数のポイントを渡るといよいよ函館駅に進入する。
皆様こんばんは のなゆう総裁です
さて、組成据付も終わり、百閒先生のように先頭から最後尾まで連結している車両を確認しましたので、さっそく乗車することにします。
そのまえに跨線橋から一枚
反対側のホームから青森駅の夜行列車の姿を!
手持ち撮影なのでブレはご容赦
サボ 国鉄書体が最後まで踏襲されたのがうれしい。
もう少し夜行列車らしい雰囲気で・・・・・・
三ツ星マークと寝台車の行燈
さあ 一緒に足を踏み入れ、乗車体験してください。
分別?はぁ なんですかソレ まあ。ごみならこの「くずもの入れ」に入れちゃってくださいよ
冷暖房や減光状態はこのランプが光って表示するのです。
さあ 寝台車のデッキから客室へ入りますよ。
2段ハネ、70cmの寝台幅を持つ、私の中では「最新型」に分類される寝台車。21世紀までよく持ちこたえた。
今日の私の寝台区画。上段の画面左側が指定されている。荷物を置いたらもう少し車内探検しよう。
便所エリア 右側の折り畳み扉は独特のもの。少ないスペースに苦心した賜物。冷水器は撤去されている。
オリジナルからは改造されている洗面台。
タンツボや 湯 水 というボタンや、小さなハンドル式の洗面台だったころ覚えている人いますか?
では 違う車両も内部を記録しましょう!
のびのびカーペット車 指定席料金だけで乗れるお得な車両。2階席はほぼ寝台車同等 浴衣などがないだけ この車結構つかいましたよ。
もっと早く、こんな車両がでていたら。・・・・・ 余裕が出たから出来た車両だったかもしれない。
ドリームカーのミニロビー。 まりも号で一杯やりながら鉄道談義したころが懐かしい。私もまだ若かったから12連泊までやったことがあった。
ドリームカー内部 座席がかなりいいものだった。グリーン車の転用品にさらに改造して、リクライニングも深くなっている。でも周遊券族だったころは、座席指定券と急行券も買わなければ乗れず、実際、あまりお世話になっていない。
指定席車の一部(いわゆるハズレ席)と自由席車は、このタイプ 簡易リクライニングとカバーのついた蛍光灯 一番世話になった車両タイプ 周遊券族だったから今でも、熟睡できると思う。今日は4割程度の乗り。だいぶ余裕がある。
まもなく発車するので、本日の我が宿へ戻る。
さあ、急行はまなす号まもなく発車します。
やっぱり 寝ない寝台車ではこの椅子で、車窓を眺めましょう。
最後、数秒がタイムオーバーという残念な結果!
以下、残念な録画にお怒りのホームページ訪問者へ のなゆう総裁緊急記者会見が行われたようです。
皆様こんばんは のなゆう総裁です
さて 堂々の入線を果たした 急行はまなす号 せっかくなので嘗め回すように編成の頭からお尻まで、つぶさに見ておこう
青森 青函連絡船乗船乗り換え口方向から
スハフ14 506 11号車
オハ14 531 10号車
オハ14 511 9号車
スハフ14 557 8号車
スハフ14 509 7号車
オハ14 508 ドリームカー 6号車
オハ14 505 ドリームカー 5号車
オハ14 515 のびのびカーペット 4号車
スハフ14 551 3号車
オハネ25 15 B寝台 2号車 私の乗車車両
オハネ25 7 増結21号車
スハネフ14 551 1号車
牽引機関車 ED79 20
反対側ホームから 14系寝台車 の発電機音を堪能する!
1号車の SLEEPING CAR HAMANASU はまなす紋章を拝む
さて のなゆう総裁のお召し車両の乗車口へ進んでみよう!
皆様こんばんは のなゆう総裁です
さて、夜も更けて紅白歌合戦なら北島三郎クラスが登場する前に
ここで「南極観測隊の皆様から激励電報が到着しました。早速ご披露しましょう」
「ナンキョクハ イツモ シロ シロ シロカッタ」
雰囲気も盛り上がった青森駅から中継です。現場の のなゆう総裁どうぞ!
はい こちら青森駅です。 まもなく急行はまなす号の据付です。!
車内販売はありません。食堂車ももちろんありません。ホームには自販機しかありません。ラチ内には営業中の売店もありません。ご注意くださいませ。酒やつまみ、食べ物はラチ外でどうぞ!
組成据付は21:36との案内です。3番線へ急ぎましょう!
増結21号車の人は乗り場に注意してくださいね。 21両目ではありませんよ(知ってるって)
もうじき外されるのでしょうかね・・・・・
いよいよ 大御所の登場。 日本の国鉄の夜行急行列車の伝統的なスタイル
B寝台車と座席指定車、自由席車とカーペット車、を連結して据え付ける。本日は堂々12両編成!!機関車も加えれば13両の長大編成である。
荷物車や郵便車、食堂車、グリーン車もセットになれば完全セットになるが、まずは21世紀までよくぞこの姿を伝え守ったことをほめたたえたい。12両もの客車を従えて入線するのであれば、まさしく国鉄、夜行急行の最後の継承者として威風堂々たる入線風景を見せてくれることであろう。
入線は21:36ごろと言われた。
遠くから汽笛が聞こえてくる。構内踏切の音が鳴りだし、ヘッドライトの光芒が徐々に近づいてくる。先頭は青森運転所からの据付のために先頭に立つ DE10 横綱の露払いのようでもある。
では私が拙い文で表現するより、映像で見ていただきましょう!
昭和63年、青函連絡船から使命を引き継ぎ、かつての1D~1便~1Dの流を継承した、国鉄と旅を愛するすべての国鉄原理主義者へ捧げる「急行はまなす」の入線風景!
本日は堂々12両編成での入線!それでは 201レ組成据付接近!!
いや~
久々です。長距離列車の風格をたたえた組成据付!鳥肌がたちますね!
皆様こんばんは のなゆう総裁です。
さて青森に到着してすでに2時間程度経過しました。
八甲田丸と あおもり駅 という表示をみて、数時間経ってようやく、気持ちが青森駅に到着したようです。まだまだ 急行はまなす までには時間があるので、北海道新幹線開業前の海峡線を見ておこう。
津軽線のキハに乗り
このサボをみて「みうまや」と読むのは国鉄人、「みんまや」と読むのは地元民もしくは邪教徒
窓の外には津軽平野と 真新しい北海道新幹線の高架橋
まじまじとこの駅名標を見るのは最期かも。
私だけを残して、キハが去る。 私が一人降り立ち、他にはだれも乗らなかった。
津軽二股駅に到着。察しのいい方は分かったころかも。
だれも乗降客のいない 片面ホームの津軽二股駅に隣接する。そうあの駅。
青森県 本州に存在する唯一のJR北海道の駅 津軽今別駅が隣接していますが、全列車通過中(事実上の休止)なのです。
なぜなば、
北海道新幹線 奥津軽いまべつ駅に改装するための工事真っ最中。
私のほかには、だれもいない。人の気配がまるでないが、駅には照明が灯り、最終工事段階なのだろう。もちろん中には入れない。
本当に、ここに東京から直通する新幹線が停車するのだろうか?
また、狐や狸に化かされているのではないだろうか???きっと狐や狸が作った まやかし に違いない。こんな津軽の果てに金殿玉楼の如き駅があるわけがない。私を誑かすならばオハ61あたりに化けるがよい。心の底から化かされてやろう。
狐や狸に化かされて、肥溜めを温泉替わりに、くつろぐ前に退散することにした。上りの最終列車蟹田行きがまもなくやってくる。
この駅に再び降り立つことはあるのだろうか。
津軽線 三厩駅から引き返してきた、先ほどのキハが迎えきた。
蟹田から青森行きに乗り換え、再び青森駅に戻ると、あたりはすっかり夜。いつもならば一杯ひっかけに行くのだが、今日はまだ飲まない。
そういえば、青森駅のホームにあった立ち食いソバがなくなっている。八甲田や津軽、ゆうづる、はくつる、あけぼの、はつかり で、この駅に来ると必ず食っていたような気がするが、無いといわれると余計に食べたい。
ホーム上からは撤退したが、幸い駅のラチの外に立ち食いソバを発見し、食べることができた。
さて、そろそろ紅白歌合戦でいうなれば北島三郎クラスの登場の時間が迫ってきました。
オマケ画像 不鮮明ですみませんが、ニアピンな方、どうぞ!
皆様こんばんは のなゆう総裁です
さて 青森に到着した のなゆう総裁 その後です
改札口の 函館方面 も 紙を剥がすと無くなるのだろう
青森行き 走ルンです東北 がきた
青森駅に到着!
青森駅改札を抜け八甲田丸と対面した。 港の潮の香と あおもり駅 の看板を見てようやく青森に到着した実感を受けた。
かつての津軽海峡の女王 青函連絡船 八甲田丸 お尻から失礼した。 現役時代なら絶対に立つことすら許されないポジション
女王のご尊顔を拝謁し、津軽海峡冬景色の歌碑に近づき、津軽海峡冬景色の「聖歌」を拝聴する。
ここではヨ太郎すら脇役に過ぎない
見よ 国内最大 21世紀に燦然と輝く
皆様こんばんは
のなゆう総裁です。
ついに我々国鉄原理主義者が現実鉄道から足を洗う日が近くなってきたことを実感する、国鉄型寝台車の終焉 そして夜行急行の消滅という日が発表された。
早速、これに乗車することにした。皆様にも乗車気分のおすそ分けになれば、私の喜びこれに勝るものはない
最後の夜行急行の一夜。私の鉄マニ人生においても、おそらくこれが「人生的最終乗車」になる一枚となるはずである。
どこかの進駐軍専用列車のようなブルジョアジー向けの寝台車に乗ることは余程の成功でもない限り、まずありえない。
たぶん、「それ」に乗車できる金と暇があったとして、乗るだろうか・・・・・
・・・・・・おそらく ・・・・・ ない・・・・・・
なぜだろう。 おそらく「それ」には街と街を結び、人々を送り届けるという「崇高な使命」がない。 いうなれば物見遊山の列車に他ならない。
こんな理屈を抜きにして、最後の崇高な使命を持った、「乗車したい」と思わせる夜行急行「はまなす」号に乗りに行くため、寝台券を手配し、無事に入手することができた。
久々に夜行急行とハードな乗り鉄をするので、単独での「渡道」となる。
妻には、地元対策事業を実施しなければならない。
久々に、大判時刻表を購入した。
何年振りだろう。 かつて旅には「絶対的必要性」があった交通公社の大判時刻表を購入しなくなって、どのくらい経っただろう。私にとっては時刻表とは「交通公社の大判時刻表」が30年以上にわたる付き合いで、妻よりも長い付き合いだ。どの辺に何線というのは持った感触で引くことができる。
すっかり寂しくなった北海道の路線図を眺めると、もう二度と乗車できない路線が次々に思い出される。中学生の際の583系で東北本線を走り、青函連絡船「摩周丸」で渡道。乗車した「湧網線」は代行バスも確認できなくなっている。士幌線、羽幌線、名寄本線。 高校生のころ青函連絡船の最終乗船と標津線、天北線などの広大な大地をキハ22で走り抜けた思い出の路線は悉く、バス転換になってしまった。
複雑な乗り換えを要しなくなったこともあり、いつしか購入することもなくなっていたが、久々に親友に会った気分になった。今までのご無沙汰を詫びる心もちになった。
大判時刻表と旅の友の宮脇俊三先生の文庫本を一冊鞄に入れて出発準備を行った。
北への旅立ちであるが、実質 東北新幹線しか選択できない時代になったので、不本意ながら東京駅に立った。
はやぶさ13号に乗車することにした。少し早く青森に到達して、今の新幹線函館開業前の青森界隈を記憶したいからである。
そんなに写欲をそそられるものでもないが、一応お約束として。一枚だけとってみた。極めてどうでもいい。
発車すると、すぐに窓側の皆様がシェードを降ろした。まったく外が見えない。非常な高速で北へ輸送されていることしかわからない。白河の関も、安達太良山もあったものではない。
囚人護送の様相を呈している。「これは要塞地帯を通過中なのでしょうがないことだ」と慰めることにした。
万かつサンドを食べてみるが、一瞬で食べ終わると、もはや何もやることがない。ただ高速で北へ輸送されていることしかわからない。
あっという間に、新青森に到着した。駅員を捕まえて「こんなに早く青森に到着できるわけがない!お前は狐か狸で俺を誑かそうとしているのだろう!」といって殴りかかるわけにもいかない。
ならば、青森に到着したことを実感できる場所へ移動しなければならない。
みなさまこんばんは のなゆう鉄道総裁です
12月19日 20日に 君津~安房鴨川間を運転した リゾートあわトレイン車内で
日本のなゆう鉄道新線が、ついにお披露目、内房線に乗り入れを果たしました!
これに先立ち、プレスリリースがありました
平成27年12月18日
報道各位
日本のなゆう鉄道総裁
日本のなゆう鉄道の内房線乗り入れについて
平成27年12月19日(土)、20日(日)にかけてJR東日本内房線 君津~安房鴨川間において運転される「リゾートあわトレイン」車内乗入れを実施します。
本件は内房線のさらなる活性化の一助となるべく、日本のなゆう鉄道および「さざなみ鉄道倶楽部」「JR東日本」の協力のもと実施されるものであります。
くわしい運転時刻等は別途、JR東日本千葉支社のプレスリリースをご確認ください。
以上
↓↓↓本物のJR東日本千葉支社のご案内↓↓↓
更に、のなゆう総裁から以下の通り総裁談話が発表されました
営々と工事が進行していた、のなゆう新線がついに内房線へ乗り入れることとなります。模型鉄道といえどもJRへの乗り入れを果たすこととなる大変意義深い事業となります。また実現に際してご協力をいただく「さざなみ鉄道倶楽部」「JR東日本」の関係者の皆様に厚く御礼申し上げますとともに、今後とも鉄道の発展に精進する所存であります。当日は本職も列車に乗車し、陣頭指揮にあたるものであります。
ということで以下は、本番当日の模様をお送りします
君津駅入線 5分で積車完了が最初の難関
組み立て作業は、思いのほか動揺のある車内で難航しつつも浜金谷発車前までに作業完了
さっそく、JRの架線から、のなゆう鉄道へ給電開始!
でも初列車は キハ20 DD51
普段なら、とても入線を許されることもない車両も並びます。
まあ今日は、めでたい祭り
イベントカーはだんだん混雑して移動もままならなくなりました
やがて車両が交代して、ぐっと 総裁好みの車両も 総裁のストライクゾーンまであと20年遡るのだ!!!!
というまもなく 安房鴨川へ到着! ここでは鉄道員体験が行われていました
かつてチョットこの商品に係った者として、商品が継続していることに
ニヤリ( ̄▽ ̄)
かつてよりバージョンアップしてより楽しいものになりました
駅長犬も出現!
でも犬じゃない本物の駅長が大集結している姿は全然ユルくなかったです
(((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブルガタガタブルブル
ではなく お疲れ様です!!!!
たのしい時間はスグに経過し、帰りの発車時間が迫ります
最近の電車には見られない 職人芸を要求される運転台!
上手な運転士とそうでない人がハッキリします
また、のなゆう総裁にオファーがありましたら
再度 こんな強引な企てがあるかもしれません
中学生の学生班の動きもオッサンには新鮮でした。
もうオッサンはあんなにうごけないよ
リゾートあわトレインで 鉄道模型を走らせる
日本のなゆう鉄道、JRへ乗り入れる巻でした
みなさまこんばんは
のなゆう総裁です
きょうは、地元の房日新聞社さまに掲載いただいた
総裁乗り鉄記録をUPしておきます
一応知らない人にも、解説しますが、夏目漱石門下生の
内田百閒氏(黒沢明の まあだだよ の主人公の先生)
による名作 阿房列車 には遠く及ばないので阿呆列車として
まとめてみました。
東海道 山陽阿呆列車 WORD版
東海道 山陽阿呆列車 PDF版
暇で暇で死にそうな時、便所でウ〇コが出ないとき
そんなあなたのひと時におすすめいたします
おかげ様で、「もうやめろ」とか「つまらん」が殺到して掲載打ち切り
にもならず、無事に一応の終点まで到達しました。
みなさま のなゆう総裁です
今日は、だいぶ時間が経ってしまった
久留里線の旧型キハたちをご紹介します
木更津駅にキハ30の2両編成が到着 引き上げになるシーンから
ちょっと珍しい光景をどうぞ
このあと新キハに乗って小櫃まで移動
小櫃から旧型キハに最期の乗車
木更津駅で最期の引き上げ
このあとキハ30が いすみ鉄道に引き取られることになりました
配給は木更津~安房鴨川~大原で行われることに
まずは九重駅でお出迎えしました
この後、列車が千倉を経由する間に和田浦駅へ ここで列車交換になります
和田浦駅発車 (暗くてよくわかりませんね)
列車は無事に大原駅へ到着
いすみ鉄道のキハ52が迎えに来ました
軌道モーターカーも来ました
時間もすごいことになり、とても寒かったので、ここでヘタレました
最終列車の後に、授受線を活用して国吉まで向かったそうです
何気ない久留里線の日常とキハ
でも新旧交代の日が迫ったころ
何気ない発車シーンもどうぞ
みなさまいかがお過ごしですか
のなゆう総裁です
先日、君津のさざなみ鉄道倶楽部運転会がありました
のなゆう鉄道も早速参加
「つばめ号」と「かもめ号」です
往年の国鉄の大看板ですね~
この後は、夏の鉄道フェスタの反省会(飲み会)
宴会場までは、ジョイフルトレインでどうぞ!
飲み会会場まで超特急!
で
飲み会
鉄道模型倶楽部なのに、土曜ワイド劇場ネタで盛り上がる皆様
公民館の皆様、おもちゃ病院の皆様、また飲み会やりたいですね~
この後は、部長宅で鉄なDVD鑑賞会
こちらはしっかり鉄ネタで盛り上がりました
部長殿、一晩の宿ありがとうございました
楽しい一日でした!
毎度登場 NゲージでGO!
プラレールも大好評!
国有鉄道路線図!
いまでは寂しくなった
北海道やら筑豊の路線図が泣けてくる
単純だった首都圏ネットワーク
連絡船にはお世話になりました
北海道へ渡道!(死語の世界)
お嬢様 ぜひ鉄の心を忘れずに!
いつものお願い
写真協力 Mよし 様ありがとうございました!
みなさま こんばんは
集え国鉄原理主義者よ!
祝え国鉄車両の疾走を!
祈れ国鉄の復活を!
さて過日、南房総市で開催された
(日本国有)鉄道まつり
まずは、お子様たちに貨物列車かくあるべし
を見ていただきました!
取り急ぎ ご協力いただきました
皆様に感謝申し上げます。
みなさま のなゆう総裁です
なんの予告もなく長期間にわたり運転休止状態でしたが
本日は試運転です
あ~ あ~
こちらは日本です 生きている人はいますか?
みなさまこんばんは のなゆう総裁でございます。
さて、これを書いているころ。スカ色113系は最期の地にたどり着き
パンを降ろして、静かにその歩みをとめたころと思います。
自分が生まれる前の千倉電化のころより延々走り続けた113系も
ついに世代交代の波にはかなわなかったのです。
幼少のみぎり、72系電車と比較してその近代的な姿に
自分の中では72系が来ると「どんこう」。113系が来ると「ふつう列車」
と使い分けていたのをなんとなく思い出しました。
183や165の特急・急行に館山駅から乗車する前には、最寄り駅から113に
乗ってお出かけというのがお決まりなパターン。
やがて、ローカル運用の113系は6連が当たり前でしたが4両運用が
入り、スカ線の付属編成などが来ると冷房車と車内広告の多さが
「都会的センス」を漂わしていたのも、懐かしい思い出。
「青い海」「白い砂」は113系の桧舞台。
183や165に比してサロ2両組み込みの11連は
房総夏ダイヤの中でも特急急行の中にあっても
貫禄において一歩も引けをとらないものでした。
やがて高校進学の折と同時に日本国有鉄道の終焉。
国鉄発行定期券はついに持つことが出来ませんでした。
113系は高校の毎日の通学の中でも
そのバリエーションが多様な時期であったため
非常に楽しい毎日を送ることが出来ました。
関西からの転属組、特別保全工事施工車、簡易冷房改造車、
なぜか混じっていた115系
貫通8連、初期ユニット車のRのついた窓枠。そして化けサロ。
こまかい違いなど、今となっては記憶しかのこっていないのも、
あまりにも日常の中に溶け込んでいた
113系ならではだったのかもしれません。
末期になってくると東海道線からの転属車のシートピッチ拡大車の
快適性に大いに感動したりする一方
保全工事の椅子が直角に近くなったり、要らない枕が
ものすごく邪魔臭かったりして大いにがっかりしたのも
いい思い出かもしれません。
やがて就職して時々出張で利用したりする程度の利用でしたが、
去り行く千マリ189系の段でも書きましたが
なんと中の人になるというトンデモナイ研修に行かせていただいた結果、
毎日200km4時間くらい乗るという
ものすごい経験を2年もさせていただきました。
千葉に211系が現れ、あれよあれよという間にプレハブ汚物の
209に占領されてしまい、結局ロクな写真も残すことが
できませんでした。
でも当時の鉄道研究会のメンバーと
113系の最期はちゃんと見取ってやれるような商品を作るのが
俺たちの使命という??使命感??に燃えながら、
千葉県内の113系走行区間をすべて巡回するツアーというのを
企画していたんですが、大震災にともなう停電、間引き運転、節電
定期列車にも影響が出る中でそんな大それた
「遊びの列車はまかりならん」という中であえなくボツ
ただ、9月ごろ計画停電の影響がなくなる見通しというなかで、
ここだけは何とかという形で「さようなら企画」も復活
見せ場は館山駅での並びで「青い海」「白い砂」の並び。
(回送場面では総武本線でもあったようです)
自分はヤボ用が入ってしまったため
最寄り駅でのお見送りが、113系との最期の別れになりました。
最期に動画くらいとっておこうかと思いましたが、
待合室で競馬ラジオをガンガンかけているオッサンがいたため
なんとなくしまらない動画になってしまいましたが、
千葉を毎日を駆け抜けた
「日常、なんの気負いもなく乗る電車、113系」
の正しい記録なのかもしれません。
のなゆう総裁は、このたび和歌山電鉄の執行役員に面会に行くことにしました。
弱いやつには強いのでグリーン車です。(乗客専務車掌の名札入れなんて懐かしいアイテムが残っています)
東京駅からの出発には、お約束のチキン弁当!
朝の東海道本線を順調に西下します。さて、熱海から先は今までとは雲泥の差。恐怖のロングシート区間です。ここはじっと我慢の区間。堪えがたきを堪え、忍び難きを忍ぶのです。
豊橋からは漸く、人心地つく人間の乗る車両がやってきます。
豊橋からは、117系 ラッキー!! いなり寿司も入手して気分上々。先を急ぎましょう。
大垣駅からは再び117系 ラッキー!! しかも原色!!
米原駅からは新快速で大阪へ。いやはや、早い早い。
大阪駅からは阪和線で和歌山へカッ飛びです。
さて、夜も更けてきましたので、和歌山ラーメンでも食し明日の面会にそなえることといたします。
・・・和歌山ラーメン 食いにいったのですが・・・・ ラーメンの麺をゆでる時の茹で汁味のようなものがものすごく・・・ まあ・・・ 一口目の印象を一言でいうなれば・・・・ お察しください・・・・・
あえてお店の名前は明記しません。たまたま私が食べたのが・・・だったのかもしれませんし結構有名なお店です。(ネット上では賛否両論。まあ現地にいって食ってみてください。)
さて、翌朝 和歌山電鉄に乗車に向かいます。
そう 喜志駅にいる執行役員 たま駅長です
いらっしゃいましたが、あいにくお疲れのようで、のなゆう総裁の来訪も気づかないようです。
※1月6日づ付けで常務執行役員に昇進のようです。(どこまで昇進するんだかねぇ)
http://www.wakayama-dentetsu.co.jp/company.html
ついでに 和歌山電鉄の通信販売です。ご利用してあげてくださいませ。
途中の伊太祈曽駅で、同行の娘がさらに たまグッズを所望したために途中下車。なんとなく途中下車しましたが、模型的にはすごくこじんまりとした地方鉄道の要衝駅。車両検車場と洗浄線など小さい中にも必要な施設が整っております。
なかでも興味を引いたのが、この本線上に鎮座ましましているこのダルマ転轍器。よくよく見ると連動装置らしきものがあるので、勝手に転換はできないようですが、本線上のダルマは初めて実見しました。本線から車庫への分岐のようですが、すごい割り切りかたですね。本線進行列車は背向で進入するため、割り出しなどちと心配です。ちょっとすごいです。
帰りはいちご電車とおもちゃ電車にそれぞれ乗って和歌山まで帰ってきました。
さて、和歌山電鉄はこの辺にして、せっかく大阪にきたのですから交通科学館へいってみました。
が
入れず。
入場の際には事前に情報を確認することが大切です。
http://www.mtm.or.jp/ (公式 交通科学館)
新大阪駅でのモニュメントです。昭和49年だそうで。はや幾年月。日本国有鉄道すでになく。
さて帰りは、別に急がないので、「ぷらっとこだまグリーン」にしてみました。
こだま号なので全部とまります。 さらにいくつかの駅というより、そのほとんどでブチ抜かれます。急いでいないし、居心地のいいグリーンなので、まったく気にしない。むしろ、のぞみの普通席の3列真ん中なんて想像しただけで・・・・・
浜松駅にて名物「うなぎ弁当」 夜の東海道を東上します。東北新幹線などと大きく違うのは沿線がひたすら明るいこと。東海道新幹線から東北新幹線へ転勤した運転士の第一印象はやはり沿線の夜の暗さ。とりもなおさず東京~大阪という2大都市を結ぶ新幹線 流れる夜景もまた楽しからずやです。
さて無事に東京駅へ着くと、今度は千葉の209が待ち構えています。人間性を無視したようなプレハブ電車は30分でも苦行です。 便利で快適な高速バス・・・・・(自粛)
のなゆう総裁、和歌山電鉄執行役員に面会す の巻でした。
今日は少し時計の針を巻き戻して、昔の、のなゆう総裁の仕事から多分、これを超える仕事には出会えないかもしれないほどの仕事、「さりゆく千マリ189系」の始末記を書いておきます。
乗車した多くの皆様に感謝申し上げるとともに、万が一、中の人が読んでいた場合、今後の鉄ネタ作成の折に、何かしらの参考になればとおもい、記しておきます。
ちょっと古い話なので、なにかしらのNGもあるかもしれませんが、昔の話と思って笑い飛ばしていただければ幸いです。
当時、のなゆう総裁は縁あって『中の人』でした。そこで「幕張の189も3月で北長野だってよ」
という話を聞きました。
当時の同僚で非合法地下組織「鉄道研究会」が組織されていたのですが、折も折、ちょうど1000円道路の影響もあり、このままでは減収減益は必至という状況の中で、減収は避けよという指令が出された直後でもありました。
さっそく、189のいい最期をみんなで看取ってやれるような催しをツアー化できれば、会社にもOK鉄にもOKな企画ということで、緊急ミーティング。
そうとなれば、鉄の心をつかむのは、やはり「鉄」ならでは。あれやこれやとやっている中で早速原案は決定!直ちに配車手配とスジ引き。鉄の上司は旅行企画の決済承認へ、のなゆう総裁はグッズにすべき資料集めと、車内イベントのクイズ作成。
グッズは次のとおりとなりました。
・サボ 【アルミ製 実物仕様 1/4サイズ】 内房(さざなみ仕様) 総武(しおさい仕様)の作成原版のロールサボはS55当時の、のなゆう総裁所有のものを原版に複製開始
・下敷き 【千葉鉄道管理局の 房総全通50周年記念 下敷き】 鉄道研究会員所有物を原版に複製開始
・ヘッドマークシール【絵幕・字幕仕様】 資料集めで鉄博へ(本当は結構みんなの中で字幕だけでいい!っていう意見も多かったけど、絵幕も入れてやろうよということになりました)
・硬券D型マルス仕様 乗車記念券(まあお約束ですよね)
さて、お昼の弁当は? という中で、「お弁当はやはり、東京駅のチキン弁当! 房総特急に乗車する際には必ず食った!」という、のなゆう総裁の思い出によってチキン弁当。
さて、そうこうしている内に、スジも立ってきつつある中で、東京駅にスジが入らないという一幕も。
「京葉線なら入るけど・・・」
「房総特急の始発駅は東京駅の総武快速ホーム!京葉ホームなんかじゃ駄目! 最期を看取るんだからちゃんと花道からだそうぜ!」
「そうですよね 何とかします。」
やはり鉄道研究会の皆さん。コンセプトを理解して話をつなぐのも早い!
スジは結局、東京駅総武快速ホームから出して館山へ。返しは両国ドン。もう一日は同じく東京駅総武快速ホームから鹿島神宮、銚子を回り、成東を経て両国ドン。
さて、スジがたったら、車内の仕掛けを考えることになりました。
一番の心配事は、備品盗難。実質最終運用なので、備品をかっぱらわれるのが一番、今後の同様なイベント実施のためにも心配事でした。解決策としては、「車内サボ類はすべて複製品とする」ということに。
早速、幕張電車区で実物寸法採寸のうえ、レプリカを、のなゆう総裁が担当。車内号車札は全撤去しレプリカに置き換え。【結構いい出来だったとおもうよ】 ドアの【自由席/指定席】は本物を全撤去し特製品【今回のスペシャル版】に置き換え。
(ネット上のひろいもの画像。当時の現物は一枚も手元に残っていないんですよ)
こちらのドア表示スペシャルは多分かっぱらわれるので盛大に作成し、のなゆう巡回で常に補充。【結構かっぱらわれました】
もうひとつの心配事は、便所からロールサボをかっぱらわれるのでは?という心配。
これには、車内に掲示した当時の活躍写真で点検孔を封印してしまおうという作戦を取りました。
当時の写真で、封印すれば、これを破って手を出すのは、鉄ならば御札を破り捨てるのと同じ。心理的な防御効果があるに違いないという、鉄の良心に訴えかけよう!と
そうして、いよいよパンフレット作成へ。鉄道ジャーナル社のお知り合いのツテを頼って、写真を入手したり、鉄道研究会員の秘蔵写真を持ち合ったりして、結構気合の入ったパンレットを作って見ました。
さあ、いよいよ発売開始です。どんな売れ行きかなと、商品在庫を確認しようとすると14:00発売開始してしばらくしてサーバーダウンとのこと。??? 理由がなんと、189系の旅のせいのようで、上司はなにやら、さらに上役に呼び出されて「お小言」を頂戴しておりました。曰く「こんなに売れるのであれば、しかるべき連絡が必要」って、「・・・そんなのわかれば苦労しないよ!・・・(心の叫び)」と当時の上司は不満そうでありましたが・・・・ なんと30分後にサーバー復旧とともに、ほぼ「完売」といううれしい一報!
しかし当然売るべき座席もないので、発売開始30分後には「さりゆく千マリ189系」パンフレットは全撤去せよという電報手配。結構苦労して作成したのに30分で撤去かよ!!
【こうやって並べて掲出してほしかったんです ちょっと面白いでしょ!】
【中身も結構凝ってつくったのに・・・・】
幕張電車区の皆様にも、ご協力をいただきました。『最期の国鉄伝統の特急編成』には『鉄道唱歌』チャイムをぜひ付けてください!とお願いしたところ「う~ん」という回答でした。
万が一は、のなゆう総裁所有のチャイム音源を持っていこうかとおもいましたが、「鉄道唱歌なんとかなりました!」と幕張電車区からの一報
ああ、これで役者はそろった。国鉄特急の旅立ちには『鉄道唱歌』なんですよ。
(189に武田節などのJR後のチャイムを期待していた人もいたので、その方面の方にはスイマセン。国鉄特急には鉄道唱歌っていうのが国鉄原理主義者の旅立ちには必要なんですよ)
あとは、車内のお楽しみ時間をつくろうよ!ってことで、予備ロールサボを切り抜き額装して1両に一人だけクイズ大会優勝者に進呈しようということで、額装とクイズ作成をやってみました。
まあ、大好きな人たちの代表となる方へのクイズなので、これは気合を入れて作ることにしました。文献をあさり、のなゆう総裁所有物にないものは、ちょっとお付き合いのあった方から鉄道博物館へ連絡をとっていただき、資料漁り。
気合の入った方へ出題するわけですから、気合の入った問題を出題いたしました。マルバツクイズなので、万が一、両日参加する人や、問題を覚えて、誰かに正解を連絡してしまう方にも対応するために問題はおよそ60問程度、北総編と房総線用に作成し、万が一覚える人がいても、「実質的に無意味」にするために、また両日参加していただいた方にも失礼のないように万全の体制で臨みました。
当日、出題する際にみなさまから、「おお~」「難しい」という賞賛?を頂き、出題者としてはしめしめという気持ちです。また、やっぱり前の車両のクイズを聞いて紛れ込んでクイズに再挑戦した人を「御注進」していただいた方もいましたが、「まったく違う問題を出題しますので無意味でしょう」「賞品をお渡しする場面で、必ず乗車券の号車番号を確認してお渡しいたしますので、そのような方が賞品をいただくことは出来ません」と回答させていただきました。
その後。183・189の中の様子が2chに実況されていたようですが、先ほどの件が書き込まれていたようで、「中の人の方が一枚上手だな」とのお褒めをいただいたようです。
沿線の皆様にもサービスしようということで、東京駅発車後、多分撮影の皆様が多数現れる場面の予想される駅では、幕を団体→「さざなみ」などに変えてチョッとサービス。
もちろん客ドアの開く、大きな駅では誤乗の恐れがあるので、団体で進入します。
なにはともあれ、売れればそれなりに発言力も上がり、一目置かれる結果となりました。このツアーの成功で、583犬吠号と185へつながったのですが、185はちょっと企画的には??だったようですね。でも今後、この企画にかかわった皆さんに、これを超える楽しい企画をぜひともお願いしたいものです。
さいごに189が両国駅を去る場面です。
http://www.youtube.com/watch?v=LlPX6XpuHVQ&feature=player_profilepage#t=45s
いまも、千マリ189系という単語でネットに数多くの記事がUPされているのを見るにつけ、かかわったすべての人に感謝申し上げます。
当時の上司から、最後に「忘れかけていた鉄道員の魂を思い出したような気がします。いずれ一人になったときにしみじみと思い出すことでしょう」とのお言葉をいただきました。
のなゆう総裁もこの後、ニセ社員を無事に終了し、ただのマニアに戻りました。ただ、あの時の感動は多くの方と共有できたのかなと、私も、いま一人でしみじみと思い出しております。
今日も両国駅に現れているのであるが、185系クイズ列車は両国駅を発車後、鹿島神宮駅へ向かい佐原駅まで一旦もどり、銚子駅を目指し、銚子より成東を経て三度両国駅へ戻るのである。
前日分の内房外房編とあわせ引き続きお付き合いいただいている何某さんと、同じく学生時代の先輩である甘木さんに、ご登場いただいた。
さて、のなゆう総裁の御乗用列車である185系クイズ列車は両国駅を発車し、千葉駅へ向かう。
途中クイズが配られ、前日同様クイズに挑戦する。千葉駅へ進入する前にに速度の低下があり、黒砂信号場に停車した。
このころにはクイズも終わったので、黒砂信号場の停車を味わうこととする。183系や113系などと異なり、停車中はあまり物音のしない形式で、乗車のご同輩は熱心にクイズ回答中なので、ますます静まり返って、時々、定期列車とすれ違ったり、抜かされたりした。
しんとした車内でじっとしていると、なんでもいいから動き出さないかなと思ったりもする。先頭車なので、運転席の様子を見に来る者が時々通ると、靴音がやけに響き渡る。
やがて動き出し、千葉駅に一応の敬意を表して一応停車する。ただしドアは開かない。
昨日より、この手の停車が非常に多く、誤乗の恐れと、警備の都合であろうが、封印列車の趣を呈している。もっとも、世の中の多くの人は、目的をもって列車に乗り込み、一刻も早く目的地へ向かうので、乗っている間は何もすることがなく、多くの乗客は不機嫌そうな顔をしている。
しかし、この列車の乗客の目的地は先ほどの乗車駅の両国であるので、その道中はまったく急いでいない。なので、千葉駅のような大駅に停車していると、ますます好奇の目で車内を覗き込まれる。なにしろ乗客がみな楽しそうな列車など、あまり眼にすることはできないからである。
不要不急の無目的な列車に乗車し、朝乗車した駅に、どこの駅の改札も出ずに再び戻るとは、やはり「阿呆列車」であろう。そして鉄道のクイズに挑戦し頂点に立つものは「阿呆の・・・【自粛】
佐原駅をでて鹿島線に進入するころになると、超高規格ローカル線で、北浦を一気に越える姿はおおよそ日本の鉄道風景にはあまりない景色である。
鹿島神宮駅では若干の停車時間があったので、甘木さんは買出しにでかけるものの、しばらくしてがっかりした表情で戻ってきた。曰く「駅前には酒などを調達することができません」とのこと。鹿島神宮駅は開業から30年以上経つがまったく進化していない。
再び佐原駅まで戻ると、銚子を目指す。銚子駅では銚子電鉄を一瞥することを楽しみにしていたが、見えることはかなわなかった。もっとも愛すべき1両編成のツリカケモーターの車両がいたら、185系を捨ててしまう乗客も出るかもしれない。これはこれで賢明な判断というべきであろう。
さて銚子駅で10分に満たない停車時間で甘木さんは改札を抜け無事に酒を調達できたようである。大いに楽しんでいただきたい。
車窓は延々と冬枯れの田んぼが続く。かつて私がシベリア鉄道でモスクワを目指した際には、沿線の延々とつづく向日葵畑に目をうばわれたものであるが、かの地でも向日葵収穫後はこのような景色が延々とつづくのであろうか。
成東駅に停車中に上下列車交換と後続の特急退避で少々停車した。
もうクイズが出題されることもないが、2日間のクイズで感じたことは、昭和は遠くなりにけりということである。もっとも内田百閒先生やヒマラヤ山系君などが大いに活躍したころには常識だったような話はほとんどクイズにはならなかった。
話は変わるが、幽霊話についても同様なのかもしれない。殺人事件や災害などで人が死亡した場所などでは、きまって幽霊話がつきものである。しかし、あまりにも古い死亡例の幽霊は聴いたことがない。
三河島事故や桜木町事故、洞爺丸事故などでは幽霊の話もきいたことがあるが、それよりももっともっと古い話の幽霊は、平成の御世に入って聞いたことがない。明治の御一新の際の動乱や関が原の幽霊なども、平成の御世にはほとんど聞かなくなった。
幽霊も自らの出現する根拠があまりに古いと、恨みや悲しみを持つにいたった経緯を、無知な「驚かされる人」に説明しなければ、幽霊に共感してもらえないだろうから、次第に出るのが億劫になり、やがてどうでもよくなってゆくのであろう。
このクイズもしかり。ある程度の常識として共感を得るためには明治や大正の時代の話を力説したところで、多くの乗客の共感を得られるのであろうか。もっともすでに、のなゆう総裁の知識も説明しないと草葉の陰の意味不明な幽霊と同じ境遇なのかもしれない。
銚子遊覧鉄道の話や宗吾霊堂の参詣鉄道や、帝国陸軍千葉鉄道連隊の話などはすでに、ぐるりと見渡す乗客を見ても、共感を得ることは難しいのかもしれない。
やがて、九十九里鉄道や長南鉄道、安房小湊まで到達できなかった小湊鉄道の無念や、富浦~岩井の廃隧道「岩富隧道」などをしょって、のなゆう総裁も三途の川の連絡船に乗船する日がくるのであろう。
そのような感慨にふけりつつ、のなゆう総裁と「阿呆〇」を乗せた御乗用「阿呆列車」は両国駅に無事に到着した。
さて、冗談のような列車は終点についた。何某さんと、甘木さんとは両国駅で別れた。冗談のような列車のあとは、地獄のような列車209系が待ち構えている。こちらは冗談ではなく、私も家に帰るという目的をもって乗車する。暗闇の窓に自分の顔が写る。なんとも言い表せない不機嫌そうな顔をしている。もちろん家に帰るためなので、一刻も早く下車したいものである。
乗り鉄の大勲位 内田百閒先生に敬意を払い、先生風に書いて見ました。
平成23年睦月 29日 国有鉄道総武本線の列車に乗っている。これから房総を木更津 安房鴨川と通り勝浦を経て再び両国へ戻ってくる。
さらに両国にて一泊し翌日は再び両国より千葉 鹿島神宮を経て銚子に至り 成東を通って三度両国駅へと戻ってくるのである。
さて185系電車が千葉を走ることはなかなか少ない。もとより185系は千葉にはなじみのない列車であり、そのなじみのない列車で、飽きるほど乗車したことのある、千葉局内をぐるぐるとめぐるまさに内田百閒先生作「阿房列車」の「房総鼻眼鏡」の再現である。
さてこの列車にはクイズが出題されクイズ王が決定されるそうである。
そうであるなどと他人の事のようであるが、いつぞや鉄道検定なる試験をうけにいったことがあるが、その際には正しく試験。とある学校に集められ試験監督のもと、受験生となり、鉄道の知識を競うというものであった。
それに比較すれば、きょうのクイズは参考書の持ち込みも可ならば、今の御世なので携帯情報端末でいくらでも調べてよいということなので、これは情報収集能力の高い者が優勝するようなものであり、鉄道知識王ではなく、情報収集王であろう。KGBやCIAやモサドに情報保全隊は彼を勧誘するとよい。
まあ、参加する以上はクイズに取り組んで見るのだが、そのようなことが頭をよぎるとすでに、あまりやる気もおきず、ウイスキイ の炭酸割りを飲んでいるのである。
さてクイズはサクサクと適当にこなし、車窓を眺める。
これは珍しい景色でもないのだが、ここまで縁もゆかりもない列車からみると、いつもの見慣れた景色は・・・やっぱりいつものけだるい雰囲気の内房線である。
多少の旅の無聊を慰めるために学生時代の先輩 何某さんと、職場でよく会うが仕事以外の付き合いばかりの垂逸さんと一緒である。
内房の鋸山を過ぎたあたりで、クイズの解答用紙が回収され、変わりに弁当が支給された。
掛け紙には185系の写真があしらわれているが、中身はとりたてて珍しくもなく、何某さんと垂逸さんも、ぽそぽそと食べ終えた。
館山駅を過ぎると、いよいよ内房線最南端付近の千倉駅を、この列車は通過した。
この駅を通過する体験は2回目である。一度目はかくいう私の祝賀列車が走ったときのことでもう10年にならんとする前の話である。
この珍しき体験を読者の皆様と共有すべきところであるが、すっかり撮影を忘れていた。
南三原を過ぎると車窓はいよいよ太平洋となる。 そう、われわれの座席は今日は延々と海側なのである。
両国駅を発車し、進行方向右側に陣取ったのは海側座席なのであるからであるが、この列車は両国発車後、再び先頭車を先頭にしたまま両国へもどるので私たちも終日進行方向右側なのである。
これもこの列車の珍しき体験のひとつといえよう。
外房線区間へ入り、沿線でも機関区・保線区を擁した勝浦駅を通過した。
外房線で勝浦駅を通過する列車に乗ったのははじめての体験なので、いささか興奮を隠せない。
勝浦は外房方面の要衝駅なので、この駅を通過する列車は聞いたことがない。あたりまえである。営業上も得策と思われる駅を通過するのは「阿呆」と言われても仕方がない。
そうするとこの「阿呆列車」に乗っているのは「阿呆乗客」ということで、王のお召し列車どころではなくなってきた。阿呆乗客の頂点に君臨す・・・・・(自粛)
さて勝浦駅を過ぎると再び単調な外房線の旅になる。
千葉駅に戻ると総武線快速の車両故障が発生したようで、ホームに人だかりができて、千葉駅のホームがわんわんと何かを放送しているが、ちっとも要領を得ない。
このような時はただ、運転再開をひたすら待つのみであるが、千葉駅の案内も混乱しており、乗客もそれにつられて混乱している。内房線・外房線・総武本線・成田線の列車が混乱するのであり、その乗客もホーム上を右往左往しながら列車案内に振り回されている。
このように千葉駅が乗客・駅員と一体となって壮大な大混乱の大舞台で華麗な交響曲を奏でている中で、のなゆう総裁御乗用列車はまったく存在感がなく、むしろ邪魔な招かれざる列車であろう。
しばらく後、運転再開となったのであるが、なんと開通一番列車となった。成田空港特急や快速列車を差し置いての発車である。これは、のなゆう総裁御乗用の列車の重要度か、はたまたこのような不要不急の阿呆列車の『阿呆〇』の御召列車であるからだろうか。
さてなにごともなかったかのように両国駅へもどる。先ほどの王が両国駅長より表彰されている。何事も頂点を極めることはすばらしきことであり、なんと今日の王は満点の100点をたたき出したそうである。いささか恐ろしいものを感じた。
さてここで、忙しい垂逸さんとは両国駅で別れ、何某さんと秋葉原へでかけ一献を傾けることとした。
鉄道の居酒屋ということで、女性給仕がいる。昨今は給仕は女性ばかりで、「つばめ」「はと」に乗務していたような老練なボイを見かけることは少なく、女性給仕ばかりで踏み潰してしまいそうであるが、もとより踏み潰そうという了見はまったくない。
鉄道居酒屋なのでお品書きにも列車名にちなんだものがつけられているが、精養軒や東洋軒のような洋食でもなく、戦後とみに増えた語感のおかしい列車食堂でもない。
以前、ご紹介した「満鉄 あじあ」号の金殿玉楼のような食堂車というわけでもない。
店の名前も『小仏国鉄新幹線』だそうだ。
新幹線型の食器にもりつけられたものが到着する。
秋葉原の夜は更けて、明日のクイズ列車の時間が迫ってきた。
あすは両国駅を8時に発車するという驚天動地の発車時間であるので、そろそろ、この仏国鉄小新幹線を下車することとした。
のなゆう総裁でございます。
さて本年も変わらぬご愛顧のほどお願い申し上げます。
本年第一回目の記事は「貸しレイアウト諸国漫遊 津田沼 ポポンデッタ」です。
お出かけしようとしたところ、やはり209にあたってしまい orz 千葉駅にて113に遭遇思わず一枚。
さて気をとりなおしてポポンデッタへ。今日は2階の席です。
さっそく、先日入線した181と82新旧特急気動車お目見えです。
2階席には漁港コーナーもあったので思わず一枚 鮮魚特急5050レ とびうお号ですよ!
まだまだあるとおもいますので探してみてね。
残念な一枚。
こまかい場所には破壊活動が及んでいます。やめましょうね!女子高生の皆さんが倒れているじゃありませんか?!
同行の娘は壁面に張ってある写真がお気に入りのようでした
113と217の並びですか。って写真を写真にとって面白いか?
みなさまこんばんは のなゆう総裁でございます。
12月も押し迫り一気に冬将軍の到来です。
普段の会津若松駅LIVE カメラをご存知の方には衝撃的な映像かもしれませんね
2010/12/25/21:00ごろの映像です。
ものすごい状態ですね。
北国の鉄道保守は暖かい地方の人々の想像を絶するものがあります。それゆえに北国の人々の鉄道への信頼感もあったのかもしれません。
しかし、どうするんだ?この状態??
さて、年末も押し迫りいよいよ繁忙期を迎えます。このたびの年末年始の帰省やスキーのお客様の輸送に間に合うように、のなゆう鉄道でも新型気動車特急を増発することとなりましたのでお知らせいたします。
このたび導入されるキハ181系特急型気動車は従来のキハ82系特急型気動車に比べて大幅な出力増大を図ることができました。
【従来のキハ81系の9両編成と非冷房キハ58の9両編成では、キハ58編成の方が出力が大きいのですよ。実際】
車両デザインは御好評をいただいておりますキハ82系のデザインを踏襲することにより異なる行き先の列車を併結したりすることも可能となっております。
当面は7両で運用することを予定しておりますが、みなさまのご利用状態により増結を検討いたします。
前面には電照式列車名表示器をつけております。
写真機の不調により変な写真ですが前照灯などの点灯状態です。前照灯がいささか黄色がかっているような印象もあります。
もちろん日本国有鉄道からの乗り入れ車ですのでJNR【当鉄道もJapan Nonayu Raylwaysなので共通】のシンボルつきとしております。
先頭車ではキハ82と大して変わらないじゃないかという方もいらっしゃると思いますのでキハ181系の見分け方をいくつか。
最大の特徴はなんといっても屋根上の放熱器です。大容量機関からの廃棄熱を処理するための機械が目立っております。
先頭の顔をよく御覧ください。キハ82よりきは181系の方がいささか角ばったデザインになって4います。
屋根上のクーラーの形にもご注目ください。キハ82系のキノコのような形に比較して4基のクーラーが独立しています。
さあ。これであなたもキハ82とキハ181系は見分けられますね。奥様!あなたの夫の運転しているのはもしかすると以前購入したキハ82ではないのかもしれませんよ。
いやはや
ムシャクシャして、つい買ってしまった。今は満足している。
以上新型特急増発に伴う総裁談話の発表でした。
みなさまこんばんは のなゆう総裁でございます。
けふは大詔奉戴日です。
(なんのこっちゃという人のために、戦後風にいうと太平洋戦争開戦の日です)
なにやら日本の周りは最近キナ臭い香りがただよっておりますが、あの有名な電文「ニイタカヤマノボレ1208」(12月08日開戦)が発信された日です。
もうひとつ打電されなかった電文は「ツクバヤマハレ」【日米交渉は妥結したので攻撃中止】
ツクバヤマハレが打電されていたら・・・・
いまの世界地図は相当かわっていたのかもしれませんね。当然日本国内にもいろいろな変化があったことでしょう。
歴史のIf ちょっと興味深いものがあります。
同様にいまもって日本国有鉄道が存続していたら・・・あるいは大日本帝国鉄道省だったかも
どのような日本になっていたのでしょうかね。「休日1000円乗り放題」は鉄道で行われた政策になっていたのかもしれませんね。
ちなみに大詔奉戴日には「日の丸弁当」を食べ質素倹約し国難に当たる決意を確認するということもあったようです。(もっとも戦争末期は白米すら覚束なかったようですがね)
ちょっと前でしたけど、東急大岡山のB1ワンダーランドへ行ってきました。
お店の公式HPhttp://home.u02.itscom.net/seifuudo/b1_wonderland/
さて、東急の大岡山駅からすぐそばにあるお菓子屋さんの清風堂ビルをめざします。
「なんでお菓子屋さん?貸しレイアウトでは?」という声も聞こえます。
お店の名前のとおり外観はお菓子屋さんそのもの。和菓子とか並んでいます。とても貸しレイアウトのお店とは思えません。
貸しレイアウトの店の名称どおり、地下一階が貸しレイアウトになっていますので清風堂1階で申し込みを行います。
お菓子店の地下へ通じる階段を下りるとまさにB1のワンダーランドです。
レイアウト風景はこんな感じです。
複線が4系統と単線1系統です。1本から借りられます。今日は何を考えたのか新幹線コースです。
新幹線コースにならんだ のなゆう鉄道の車両たちは次のとおり
ちょっとまって??? 新幹線コースでは???
そうです。巨大レイアウトには小さいものに続き、「新幹線コースにローカル線」
これが意外と面白いです。待避線ありなので、緩急接続をイメージした遊びもたのしいのです。
キハ10系と181系、82系とキハ52っていったいどこ??ここは何駅??
まあ細かいことは気にしない。一昔前の特急停車駅で分岐してゆく路線のある駅ってこんな感じの光景をみることができたじゃないですか。
長大な編成を連ねた特別急行が止まる長いホームの先端付近に分岐する支線の気動車が「カラカラカラカラ」ってDMH17エンジンをアイドリングさせて大して乗換客もないままに待っている。
そんな味わいのある支線も全国にたくさんありましたよね。特急の窓から見えるそんな味わい深いローカル線たちのヌシはやっぱりこの色の気動車たちでした。
そそくさと発車していく特急を尻目に、接続をとっているのかとっていないのか良くわからないローカル線のダイヤ。ややしばらくたって、そのうち発車。
初めて乗るローカル線が発車する際のあのゾクゾク感。いったいこの先どんな景色が見られるのか。(終点までいって、食べ物があるのかという不安とか(笑))
ちょっと前の国鉄の旅ってそんな感じでしたよね。
非電化区間っぽい箇所での特急との一瞬の離合。
ネコヒゲのキハ82のデザインはいまでも通用する秀逸なデザイン。国鉄特急の風格を感じます。
今日の貸しレイアウト諸国漫遊はここでおしまい。 なかなか快適なレイアウトでしたよ!
このあとは祐天寺のご存知のアレのカレー屋http://www.niagara-curry.com/にいってまいりました。
きょうは、ポポンデッタ モリシア店です。
お店の公式HPはhttp://www.popondetta.com/tsudanuma/
夜21:30まで営業中なのでお仕事帰りにちょっとひとっ走り?にも便利ですね。平日は走行料金半額なのでさらにお父さんうれしいですねえ。
さて、冬の季節を前に、のなゆう鉄道にも冬支度をした上越国境を越える強力な助っ人EF16形式が配置され輸送力の増強をはかることとなり、「急行 能登」号を初列車として運転が開始されました。
深夜の水上駅と石打駅で繰り返された増結、解結の儀式
特急北陸の牽引もあったので、晴れがましい特急仕業も持っていたのです。
総裁も臨急 佐渡号でEF58+12系のお世話になったときお見かけしたものです。
さてレイアウト紹介ですが、ポポンデッタに良くある2階建てレイアウトです。今日は下段だったのでなにやら薄暗く写真の調子もいまいちですが、なかなか良くできております。
通電状態や保線状態もまずまず。ストレスもなく走ることができました。
【ただ土曜日だったのでお子様が多く、2階から車両が降ってきて地面にたたきつけられた車両には正直ビックリでした。始めて見ましたあんな事故。車両も大破していましたが、その後も暴走・・・・平日がいいかもしれませんね。】
このレイアウトでは随所にお遊びがあります。なんだか見ていて楽しかったので何枚かUP
多分もっと面白いところがあると思うので、皆さん探してみてね。
草刈ですかねえ。
どこかでお見かけしたようなデザインですが・・・・
まあ!おめでたいことです。ことぶき号の切符は入手できましたか?それとも「あさかぜ」の2等二人用個室でしょうか?
なにやらお花畑の公園なのでしょうか。
学校のようです。『吉川君!』(古い)の人はいまや知事・・・・・
自分の中では”最新型”新幹線なのですが、もはや展示物・・・時代の流れは速いものです。
ポポンデッタは先ほどのような「高速運転研究会」の活動が活発なようで、よく隣接線からの脱線被害があるようですが、今日は2階から降ってくるという前代未聞の事故を目撃しました。(のなゆう鉄道車両には被害なしでしたが、あちらの方は再生できたのでしょうかねぇ C57-1のように復活できるといいのですがねぇ)
お子様の多くなる時間帯、曜日は要注意です。オヤジは平日に休みでもとって出かけるのが吉なのでしょう。あるいは仕事帰りの一杯ではなく「ひとっ走り」がよいのかもしれません。
人形も多数配置してありましたが、正直、お子様軍団にいつまで耐えられるのでしょうか?
おはやめに見ておくことをお勧めいたします。
さて、楽しいひと時もおわり、宿の主やじさんが、「ぜひ見せたいものがある」ということで
日中線記念館 熱塩駅へ。
昼間は走らない日中線。JRなどになる前に廃止されたこの路線を一躍有名にしたのは
本州最後の現役蒸気機関車に乗れるの路線
として一躍脚光を浴び、折からのSLブームにのって連日満員になったとか。
しかしブームは続かず、SLの煙は消え、後を継いだDE10がオハフ61を引いていたのも続かず
昭和59年には路線廃止となってしまいました。
(現役当時のひろいもん写真) (似たような位置から現在)
結構まえのTOMIXのカタログ写真にこんなイメージの写真があったようななかったような。
一時期はひどく荒廃した写真が出回っておりましたが、地域の皆様のおかげで今日もこの瀟洒な駅舎を眺められるのはただただ感謝です。
設置者の熱塩加納は熱塩加納村だったから。村は市町村合併でなくなってしまったのです
(今は喜多方市)
当初計画の東北縦断鉄道は喜多方まで来たところで、断念ですね。野岩線・会津線・磐越西線まではなんとかなったんだけど、日中線がなくなってしまいました。
もしも、米沢まで開通していたら・・・・すばらしい景色が堪能できたのでしょうね。
まだまだ建設中だそうですが、日中線のイメージのレイアウトが現在も『建設中』でした。
がんばって、米沢を目指した先人のスピリットを受け継いでレイアウト建設の槌音が響いております。
当日はオハフ61の車内が公開されておりました。
数年前の青春18切符チラシにも使われたそうな。
どこかのプレハブ電車なんかより、よっぽどすばらしい車内です。心が落ち着きます。現役のC11と日中線を走行したナマロク音が車内に響き渡っておりました。
雪カキ用のラッセル車も内部公開していまいした。
雪深い会津の鉄路を守るのは・・・思いを馳せれば頭も下がります。
ここでは、硬券入場券を100円で販売してダッチングマシーンで日付をいれ、入鋏体験もできます。
さっそくKさまと国鉄窓口ごっこ。
K 「入場券ください」
の「あぁん、入場券だぁ。つったく・・・ 何枚!」
K[一枚でいいです。あと日付をいれて、鋏をいれてもらえますか?」
の「あぁ あいよ! 鋏は改札は発車5分前だからそんとき こいやっ!」
駅側の態度がリアルに再現されるとより楽しめるでしょう
(熱塩駅の人がこんな対応していたとは思いませんが、今となっては懐かしい昭和の雰囲気です。)
さて、喜多方駅前でラーメンを食って、ばんえつ物語号に始発からのるために会津若松駅に戻ることにします。
会津若松行きの、ばんえつ物語号にのって一路会津若松駅へ
会津若松駅前です。ここで内田百閒先生ならば、
「駅前に白虎隊の像やら、赤べこやら並べて観光客の歓心を買おうという見え透いた魂胆がまったく気に食わない。見ていけといわんばかりであり甚だ気分がよろしくない。そう思わんかね山系君」
「はあ」
「きょうのばんえつ物語号の座席指定券を手にいれてくれ」
「先生!今日のばんえつ号は全部満席です」
・・・乗れないとわかると無性にのりたい。座席指定券を持っている人を引き摺り下ろしてでも乗りたい・・・
と一くさり文句をたれて山系君をこまらせるところ、
とはならず、座席指定券をもってゆうゆうと乗り込みます。新潟行きは結構残席が多くゆったりできます。
晩秋の気配の会津路を、急客機の現役当時を彷彿とさせるブラスト音を響かせ、客車内にもシンダを撒き散らしながら走ります。汽車旅がここにはあります。
秋の日はつるべ落とし。沿線には早くも夜の帳が下ります。
途中駅での給水、火床整理の時間を利用して撮影会。
愛好者の皆様の自家用車の全照灯をつけて、即席「夜間蒸気機関車撮影会」
本来なら撮影もままならない照度ですが、こんなコンデジでもなんとか撮影できました。
またふと見ると駅の外では
こういう暖かい鉄道を愛する心意気うれしいですね。
さて18時を過ぎ終点新潟へ向かう沿線は完全に夜。
夜の「ばんえつ物語号」の車内はこんなかんじ。
オハ35の一列照明のようなイメージでしょうかね。グリーンモケットだともっといいかも。
内田百閒先生や宮脇俊三先生の記述に蒸気機関車の夜間走行場面で
「火の粉が窓の外に降っている」。とか「チッ。チッと窓の外に火の粉が」というような記述がありましたが、まさにその火の粉が降ってくる様をはじめて見ました。
客車7両での峠越えはやはり、復活蒸気にありがちなやる気のないブラストなんかではなくC57の急客機の息遣いが感じられるような往年のブラスト音に近い迫力を感じられました。
窓辺の火の粉と迫力のブラスト音は最高の汽車旅でした。(頭にはシンダがいっぱいでしたけどね)
たのしい時間は瞬く間に過ぎ、ここからは家へ帰るという冗談ではない旅です。
往路の200系からは天国と地獄のような2階建て新幹線。1階。
まるでU字溝の中を進むドブネズミ。いたるところにある60点とれればいいやとでもいうような正にプレハブ電車。
まあ、209地獄に帰るまえに現実に引き戻してくれました。
貸しレイアウト巡礼の旅。久々にかなりの鉄分を補給し、C57のシンダの洗礼を受け、模型三昧。総裁はかなりご満悦でしたが?
KさまIさま楽しんでいただけましたか?
さて引き続き貸しレイアウト巡礼の旅いよいよ やじさん に到着です。
やじさん 公式HP http://www.asahi-net.or.jp/~pb8y-yjm/
公式HPにもあるように、Nゲージによる鉄道模型とレイアウトがひとつのウリになっております。
施設はかなり新しく、きれいになっています。お風呂もいいですよ!(あんまり入っていないけど)
夕食は提供なしなので。調達してから宿入りしましょう。猪苗代駅前に結構大きいスーパーマーケットもあります。
さて、さっそくレイアウト巡礼から。
人物と比較したレイアウトの大きさはおおよそこんな感じです。
中央はペンションのあるじ「やじさん」
右側の黒い人が、ペンションの主にレイアウトの改良点を指示いたしました。
ペンションの主が早速、指示のとおり改良を行うと、レイアウトの完成度は見違えるほど上昇しました。
宿の主は黒い服に同行している人にその人の名を尋ねると、
「あのお方はK様です。」
そして、見違えるほど完成度の上昇したレイアウトの前に居合わせた一同は感激の涙をながすのでありました。
さすが中年将校のKさまです。ものすごく偉そうな指揮っぷりです。元帥杖も持ってみましょう。
あるいは、あのお方のようなサングラスにジャンバー姿でしょうか?
との的確な指導をされました。
レイアウトのバラストは一部区間以外は鉄道用の砕石をNゲージ用にしたものという凝りよう。
レイアウトは御覧のとおり、複線が2系統あります。ひとつの系統は中央の駅を通過します。
中央の駅はおおよそ12両の有効長を持っております。
もうひとつの系統は左端に3両程度の有効長を持つ駅を持っています。そしてこの2つの系統は
どちらも手前のヤードから発車させることができます。主の手元の制御盤に電気セクションと転轍機の操作スイッチがあります。
もうひとつマスコット的なレイアウトがありました。 20m級車両は走行不可ですが、それ以下の車両であれば面白かったですよ。
さて、さっそく走行開始。まずは本日の御題「北へ」を体現すべく走り出したのは、のなゆう鉄道のKATO583系「ゆうづる」号です。サシ、サロ、サハネを入れた13連です。
北へという御題には同行のI さまもTOMIX583系を出してきました。
さて、すでに451系やら165系が見えて東大宮操車場を思い出しますね。
とすれ違うやじさん所有の交直急行の離合風景。磐越西線広田駅がモデルになっております。
お立ち台のようなすばらしい風景を撮影できます。(罵声はありません)
中央駅では妃殿下ではなく非電化祭り状態。
「祭りだ祭りだ!」 やじさんレイアウト非電化祭りだ!
183系、のなゆう鉄道のキハ82、そしてIさま所有の急行大雪! まるで札幌運転所みたいですねぇ
ならばと今度は、のなゆう総裁のD51とセキ3000×20両!まだまだ集めるよ編成!
ご幼少のみぎりの、のなゆう総裁が追分駅でみた夕張線の石炭列車!
これをみて、国鉄原理主義になってしまったといういわくつきの列車。ものすごい迫力だったのですよ。ホント!セキ50両目指してがんばるぞ!
もう一丁!大画面で!
もうすこし時代が下がって、小学生の折にみた181系の特別急行「とき」
上越新幹線開業前の華やかだった時代に一回だけ乗ったことがある181系の「とき」。
乗ったときにはもう「モロ」「サシ」はなくなって絵のヘッドマークになっていたけど、国鉄特急としての威厳は183系なんかは、まったくかなわないほどのオーラのようなものを感じましたね。
雪の中を進む181系は絵になりましたね。
白昼堂々とEF58が重連で華の東海道本線を下る姿は、今でも思い出せます。
上りの急行銀河20系とEF58も捨てがたい美しい列車でしたね。
さて、夕飯後、お疲れなのか早々に車庫入りしたKさまの「ぼの」を撤去して「EF58+かもめ」号を運転してみます。
もうやりたい放題!でも、いい感じに酔っ払っているので、写真はこれが限界。22:00で最終として翌日に備えて総裁も車庫入り
上段にはKさまのキハ56+27
日本の風景には国鉄色が良く似合うのですね。
いやいや。癒されます。この感じ。
さて、たのしいひと時はまさに矢の如し。
この世界ともお別れしなければならない時間が近くなってきました。
では、恒例となった
「巨大レイアウトには小さいもの」
すごく面白かったです。またいきたいですね~!
さて、ひさしぶりの貸しレイアウト諸国漫遊です。今回は遠征も兼ねて磐越西線 翁島まで出かけます。
旅立ちは上越新幹線。 磐越西線なら東北新幹線じゃないのですかって?
磐越西線なら「ばんえつ物語」にも乗らなきゃいけませんよ。鉄分補給も兼ねていますからね。
「すばらしい」
「最高の車両だと、思わんかね?」(ムスカ大佐風に)
さて、順調に新潟を目指します。
かつての上野~新潟4時間の特別急行「とき」から比べるとまさに隔世の感。
200系の重厚な走りは快適で、あっという間に新潟到着です。
さて、目指す「ばんえつ物語」はすぐそこです。
風光明媚な磐越西線を、しみじみと進む「ばんえつ物語」
駅にも人だかりができています。
沿線の人々もこの列車に手を振っています。
「汽車旅」を久しぶりに思い出させてくれるすばらしいひと時です。
※なにやら酒も見えますが、気にしないこと。
山都駅では「名物山都そば弁当」。また食うのですか?って
気にしない。気にしない。東京駅のチキン弁当から3本目って食いすぎだね。
中年メタボ本線 加減弁全開!
さて、ラーメンの喜多方、日中線の喜多方。とりあえず明日の楽しみとして
会津若松駅に到着。
ここの駅のライブカメラってご存知ですか?http://www.nttfukushima.com/live/jr_aizu/Default.html
しらない人は見るべし。
さて、本日の最終ランナー
こういう列車にふらっと乗れる会津の人ってうらやましい。
翁島駅は通過してしまいますので、猪苗代駅までお迎えをお願いしました。
では続きをお楽しみに。
さて、なにやらブログの運営に変更があったようで、しばらくは変なこともあるやにしれませんが、平にご容赦の程
さて、皆様こんばんは のなゆう総裁です。
さて久々の貸しレイアウト諸国漫遊です。
今回は遠征も兼ねて修善寺温泉「花月園」へ行ってまいりました。
公式HPはこちら http://www.kagetsuen.co.jp/
公式HPにはあまり鉄道模型のこともかいてありませんですが、知る人ぞ知る鉄道模型の宿。
各種の運転会などで利用されているのは皆様ご存知のことと思います。
さて今回は、踊り子号で出発です。
185系による『正しい』踊り子です。国鉄末期に誕生した特急にも使い、普通列車にも使うという
やはり特急に使うには「安っぽい」といって普通列車には「豪華すぎ、乗り降りしにくい」という中途半端な車という烙印を押されてしまっています。
熱海で伊豆急下田行きを切り離し。とりあえず写真にとっておきます。もうほぼ条件反射ですね。この行動は・・・・
とかなんとかいいつつも修善寺駅に到着。 157系からの系譜を継いだ湘南顔ですね。
駅からは温泉街行きバスにのりましたが、正直、バス停からは遠いのでタクシー推奨。(徒歩15~20分程度)
さて目指す「花月園」です。
玄関脇にはキープ車両のお出迎えです。
チェックインとチェックアウトは標準的なものですが、運転の始発と最終が決められています。(臨時ダイヤもあるようです)
ちょっと見づらいかもしれませんが、おおよその全景です。 電化設定の複線(本線)と非電化単線(貨物線)と電鉄風電化単線の4路線です。
たまたま相客はいませんでしたが、相客の場合は譲り合ってのようです。
制御機器はこんな感じ。ちょっと古いタイプの自作レイアウトなどでよくありましたよね。こんな感じ。
日本のなゆう鉄道の誇るジョイフルトレインの入線です。
布団部屋から見た図です。監視用カメラでモニターできるようになっていますが、ここで脱線したら・・・・復旧作業は大変だと思います。
安全運行を心がけましょう。
さてそのほかの施設などは、温泉の浴場(おおよそ5~6人収容でしょうか)と何回かにわかれて増築したのでしょうね。
ちょっと館内は複雑なつくりです。HOの人用のレイアウトもありました。もっと大きかったです。
修善寺まで出かけるのはちと大変ですが、なかなか面白い一晩をすごすことができました。
貸しレイアウトというカテゴリーからは外れるかもしれませんが、コストパフォーマンスは高いかもしれませんね。
難点をいくつか申し上げさせていただければ
・レイアウトに埃のたまっている箇所がありました。
・Nレイアウトブースは冷暖房があまり効きません。
・館内全体は往年の旅館です。
まあ。レイアウトを楽しんで友達と一晩過ごすのは面白いかもしれません。またいってみようかなとおもいます。
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発生年月日 2010年5月29日 16:51頃
事故種類 異線進入事故
概要 気動車普通列車(キハ52形式 現車1両)が 本線進行中に電留置線分岐との付近で突然激しい動揺を感知した。
直ちに、非常制動をかけ停車したが、先頭台車が電留線側に進入し全軸脱線
後位台車はそのまま本線を進行し分岐通過後に全軸脱線した。
両台車の全軸脱線した時点において軌道短絡状態となり、ただちに防護無線が発報された。
当日の運用の最終であり、運転士、指令員ともども、他の列車の収容作業に忙殺され、
他事に意識が向いていた。
運転台における定速度装置が故障していたため、運転が不安定であった。
下り勾配で、力行状態で加速が続けられており、推定速度は時速95km程度に達していた
気動車普通列車の直前に特別急行「さくら」号の返却回送が電留線から本線に出る作業があり
転轍機転換が行われていたが、密着確認はされていなかった。
鉄道施設
及び車両の損害 なし
原因 分機器転換時の密着確認の不徹底。
定速走行装置の不具合
運転士、指令員等関係者の作業の輻輳
対策 他の列車に対する転轍機転換は問題なく、密着不具合の詳細原因は調査中である。
当日走行していた横浜IMON線では、他の列車からは保線状態の不具合、及び直前までの同列車に特段の不具合は報告されていない。
キハ52形式では最高運転速度での運転を極力控え、安全な速度にとどめる。
転換試験の十分な実施と、転換時における密着の確認の励行と徹底。
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今日は、能登・北陸の最終日 行かないことにしようかとも思ったけど
最期の声を聞きたい 最期の勇姿をレンズやモニターを通しては見たくない
有終の美を飾りたいぞ 私を含めた皆よ
総武線快速列車の車内から
(総裁撮影 雑音が酷いので音消しを「強く」推奨します)